あさが来た|千代の旦那・夫の東柳啓介の功績!数々のピンチを救う!

 

朝ドラ『あさが来た』では、あさの娘の千代が病院で工藤阿須加さん演じる

東柳啓介と出会うことになります。

 

帝大生の啓介と千代の出会いは偶然のものでしたが、千代は啓介のことが

頭から離れなくなります。

 

まさに啓介に一目ぼれしてしまう千代ですが、紆余曲折ありながらも

ふたりは結婚します。

 

ドラマの後半に花を添える千代の恋バナですが、それ以上に旦那・夫となる東柳啓介は

大きな功績を残すものと思われます。

 

今回は啓介のモデルとなった広岡恵三から、今後の啓介の功績をひも解いていきます。

 

あさや加野屋の数々のピンチを救うことになります!

 




 

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千代の旦那・夫の東柳啓介の功績!数々のピンチを救う!

 

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工藤阿須加さん演じる東柳啓介のモデルの広岡恵三と千代のモデルの亀子が

結婚するのは、明治35年(1902年)のことです。

 

恵三は結婚後は広岡浅子の実家の三井銀行へ入行し、銀行業務を学びます。

 

ところがその2年後の明治37年(1904年)に、浅子の夫の広岡信五郎

(新次郎のモデル)が死去

 

それまで長きに渡り加島屋は、浅子、信五郎、正秋(栄三郎のモデル)

の三人で切り盛りしていたことから、信五郎の穴は大きいですし、

何より長年連れ添った浅子の悲しみは計り知れないはずです。

 

しかし、その穴を埋めたのが恵三です。

 

恵三は信五郎の死去を境に三井銀行を退職して、加島銀行へと入行します。

 

恵三は東京帝国大学卒業のエリートで、口数は少ないながらも性格も温和

であることから、かねてから浅子の評価は高いものでした。

 

またその仕事ぶりも真面目で切れ者でしたから、それを見て安心したのか、

浅子は社業をすべて恵三に任せて、実業家を引退します。

 

浅子は晩年は女性教育に残りの生涯を捧げますが、そもそもそれを可能にしたのも

恵三の存在があったからこそです。

 

これにより加島屋は正秋と恵三のツートップの経営体制となりました。

 

しかしその5年後に、浅子に禍が降りかかります。

 

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明治42年(1909年)に浅子に乳がんが発見されます。

 

しかも病状はかなり進行しており、浅子も死を覚悟したほどです。

 

その際にも恵三は活躍し、母校である帝国大学付属病院に掛け合って、

最新の治療を受ける手配をします。

 

浅子の治療は大手術となりましたが、生命力の強さもあって成功。

その陰に恵三の尽力があったことは言うまでもありません。

 

その直後にさらなる悲劇が加島屋を襲います。

 

加島屋の9代目の当主として長きに渡り経営のトップに立っていた正秋が、

突然死してしまうのです!

 

これにより加島屋の経営は恵三の双肩にかかることとなりましたが、

恵三は見事に期待に応えます。

 

加島銀行こそ昭和恐慌で廃業するに至りましたが、二代目の社長に就任した

大同生命を一大企業にまで育て上げます。

 

33年にもわたり社長を務め、現在でも大手保険会社として知られる同社に

大きな功績を残したのが恵三でした。

 

ドラマではここまでは描かれませんが、千代の夫となる工藤阿須加さん演じる

東柳啓介もあさや新次郎、そして栄三郎の遺志をしっかりと引き継いで、

加野屋の暖簾を守ることになります。

 

ただし、啓介が加野屋の事業を引き継いでいくところまでは描かれると思います。

 

そのため千代と結婚後は実業家として修行を重ねる啓介ですが、

その成長も大きな見どころでしょう。

 

また啓介が成長することによって、あさも実業界から引退するでしょうから、

その飛躍ぶりは加野屋にとって大きな財産となりますね。

 

数々のピンチも救うことになる啓介に注目ですね!!

 

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