わろてんか|文鳥も北村笑店の専属に!史実はどうだった?
朝ドラ『わろてんか』では、寺ギン率いる面白ければ何でもありの
オチャラケ派と喜楽亭文鳥率いる伝統的な落語を重んじる伝統派が
対立している構図です。
実際に両派が対立している様は具体的にドラマに描かれませんが、
北村笑店の藤吉は時として両派の狭間に立たされて苦労することになります。
また文鳥は風鳥亭が開業した際に特別講演を打ってくれて、
その経営を軌道に乗せるきっかけを作ってくれた恩人です。
ただし風鳥亭の高座に上がるのは「一度きり」との約束をしていたこと
から、藤吉も筋を通してその出演を依頼することはありませんでした。
そんな文鳥ですが、配下の伝統派の落語家ともども北村笑店の専属になります。
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文鳥も北村笑店の傘下に!史実はどうだった?
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文鳥や伝統派の落語家たちが北村商店の専属となるのは、寺ギン率いる
オチャラケ派が崩壊する頃です。
他の記事でもご紹介しましたがいつの間にか金の亡者に成り下がった
寺ギンは、かねてから目を付けていた月の井団吾の北村笑店専属や
芸人の月給制を巡って藤吉と激しく対立することになります。
その際には北村笑店の経営する寄席の乗っ取りも画策しますが、
借金で縛られて酷使されていたオチャラケ派の芸人たちが立ち上がり、
北村笑店入りを表明。
これによって所属芸人がいなくなって太夫元の役目を果たすことが
できなくなったため、寺ギンは興行界から身を引くことになります。
この争いを静観していた文鳥ですが、北村笑店の芸人への待遇などに
感心したようで、伝統派の落語家一同53名を引き連れて、北村笑店の専属となります。
これはオチャラケ派の芸人150人を受け入れた直後ですから、北村笑店は
一気に200人以上の芸人を抱える一大太夫元になります。
藤吉やてんにとってはまさに急転直下のような出来事ですが、これによって
北村笑店は上方興行界の一大勢力へと成長していきます。
月の井団吾やオチャラケ派の芸人に加え、文鳥や伝統派の落語家も
抱えることになり、かなり強力なラインナップで充実した番組も
組めるようになりますね♪
そしてこのあたりのエピソードですが、大正11年(1922年)9月に
三友派の落語家たちが吉本興業部の傘下に入った史実が下敷きになっています。
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その前年の大正10年(1921年)1月に三友派に属していた初代桂春団治が
吉本興業部に引き抜かれ、三友派は事実上の崩壊に追い込まれます。
これにより上方の演芸界は吉本興業部と手を組んでいた浪速落語反対派
(オチャラケ派のモデル)が席巻したわけですが、同年の2月には
吉本は反対派の乗っ取りに成功しています。
三友派の落語家たちは紅梅亭や新町瓢亭、福島延命館などの寄席で
細々と興行を続けましたが、吉本に移籍する者なども現われるなど
既に風前の灯火でした。
そして大正11年8月に紅梅亭をはじめとする三友派の傘下の寄席が
すべて吉本興業部に買収されたことで、完全に消滅することになります。
吉本は長らく上方落語の一大勢力だった三友派の顔を立てて、同年9月に
花月連三友連合同連名を設立して三友派の落語家たちを受け入れますが、
それは実質的な三友派の吸収に他なりませんでした。
その際には当時の三友派のリーダー格だった四代目笑福亭松鶴ら73名の
落語家が、吉本の傘下に入っています。
この頃には大八会などの勢力が残っていましたが、もはや吉本興業部の
勢力は断然で、吉本演芸王国が築きあがったのでした。
ドラマでは文鳥ら伝統派の落語家たちは自主的に北村笑店の専属と
なりますが、史実では戦いに敗れて、半ば強制的に吉本の傘下に下っています。
とは言えこのあたりの違いはあれど、北村笑店は太夫元となって
寄席を大展開するなど、快進撃が続きそうなので楽しみですね♪
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