わろてんか|キースとアサリのどつき漫才やハリセンは実話?
朝ドラ『わろてんか』では、モノマネ芸人のキースと百面相のアサリが
遂にコンビを結成しました。
他の記事でもご紹介しましたが、このコンビのモデルは昭和初期に
一世を風靡した横山エンタツ・花菱アチャコのコンビがモデルとなっています。
ここまでそれぞれピン芸人として活動してきたキースとアサリでしたが、
ハリセンを使ったどつき漫才を考案して、いよいよ本格的に漫才をはじめます。
彼らの今後の快進撃にも期待が高まりますね♪
ところでそんなキースとアサリのコンビのモデルとなっている
エンタツ・アチャコのコンビですが、実際にどつき漫才やハリセンを使った
漫才をやっていたのでしょうか?
キースとアサリのどつき漫才やハリセンは実話?
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どつき漫才とは、文字通りふたり以上の漫才師がどつき合うスタイルの
漫才で、その際によく用いられる小道具がハリセンです。
最近の漫才師はあまりハリセンなどの小道具を用いませんが、
チャンバラトリオなどがこのスタイルで有名でした。
しかし明治時代までの漫才(当時は萬歳と呼ばれていた)では、
ボケやツッコミの明確な担当別けなどもなく、踊りや歌も入り、
現在のそれとはだいぶ異なったスタイルでした。
大正時代に入ると砂川捨丸・中村春代のコンビがハリセンを使った
どつき漫才で人気を博しますが、それでも演目内には音楽や歌、踊りが
挿入されていました。
そしてそんなスタイルを大胆に改めて、現在の漫才にも通じる
しゃべくり漫才のスタイルを考案したのが、横山エンタツと花菱アチャコ
のコンビです。
彼らは昭和5年(1930年)にコンビを結成すると、しゃべくり漫才を展開して
大ブレイクを果たします。
彼らの登場によって徐々に漫才から歌や踊りがなくなって、しゃべくりの
スタイルが普及していきます。
そんなエンタツとアチャコですが、実は大正8年(1919年)にコンビを組んでいます。
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で、その際の彼らはどつき漫才をやっていたのかと言えば、
最初からしゃべくり漫才のスタイルでした。
その際は横山エンタツがまだ本格的に漫才に取り組んでいなかったことや、
しゃべくり漫才のスタイルが新しすぎてまったくウケませんでした。
ドラマのキースとアサリはハリセンを使ったどつき漫才からしゃべくり漫才
にシフトしていきますが、モデルのふたりは最初から音楽も小道具も
使用しないしゃべくりのスタイルでした。
もっともエンタツはその後砂川捨丸の最初の相方である中村種晴と、
アチャコも浮世亭夢丸や千歳家今男などとコンビを組んでいますから、
どつき漫才はやったはず。
しかしこのふたりのコンビに限っては、最初からしゃべくり漫才の
スタイルだったのです。
ドラマでは漫才の進化を描くために、キースとアサリは当初はどつき漫才や
ハリセンを使うのかもしれませんね。
いずれにしても彼らは後にしゃべくりの路線に変更して大ブレイクを
果たすことになるので、このあたりには期待ですね!
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