わろてんか|キースが北村笑店を退社!驚きの行動とはなに?
朝ドラ『わろてんか』では、キースの様子がおかしいです。
何やら悩みを抱えているようで、女中のトキと何かにつけて相談しています。
このところアサリとのコンビでどつき漫才で人気が出て来たキースですが、
これらの行動は気になりますね~
そんなキースが北村笑店を退社することになるから驚きです。
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キースが北村笑店を退社!驚きの行動とはなに?
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キースが北村笑店を退社するのは、アメリカに行くためです。
どうやら芸人として壁にぶち当たっていることや当時の日本よりはるかに
進んだアメリカのショービジネスやエンターテインメントを生で見聞きする
ために渡米を決意するようです。
そのため人気が出てきたアサリとのコンビも解消することにあります。
当初から北村笑店の専属芸人のような存在だったキースですが、退社は残念ですね。
ただし、アメリカで最新のショービジネスを学んできますから、
帰国後は一回り大きくなっているはずですから、彼の成長にも期待ですね♪
また降ってわいたようなキースの渡米ですが、これはモデルとなっている
横山エンタツの史実が下敷きになっています。
キースのモデルの横山エンタツは、後に花菱アチャコとのコンビで
しゃべくり漫才で大ブレイクを果たします。
しかしそれは34歳の時で、それまではなかなか売れずに苦労した遅咲きの芸人でした。
23歳だった大正8年(1919年)に一度、アチャコと組んでしゃべくり漫才を
試演していますが、その時は不評でした。
どうやら当時はしゃべくり漫才は新しすぎたようで、客に受け入れられなかったようです。
そんなエンタツがアメリカに渡ったのは昭和4年(1929年)のことです。
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同年の8月31日から漫才師や浪曲師、踊り子などを引き連れて渡米して、
半年間の巡業をおこなっています。
ところがこの巡業は興業としては大失敗しています。
そのため帰国後エンタツは一時期芸人を辞めており、ヘアピンの製造販売や
デパートの袋の販売などの商売に出ますが、これらもことごとく失敗。
とは言え、アメリカで見たチャップリンの喜劇などから大きな影響を受けて
おり、これらは後の彼の芸にも大いに役立ったそうです。
このようにエンタツは当初はかなりくすぶっていたのです。
ところが昭和5年(1930年)に吉本興業の林正之助(風太のモデル)から、
再三のスカウトを持ちかけられます。
正之助はその数年前に神戸劇場でエンタツの芸を見ています。
また正之助はこれからは漫才の時代が来ると読んでおり、どこかモダンな
エンタツにスターになる可能性を感じていたのです。
吉本入りした後は、すぐに花菱アチャコとコンビを組んでしゃべくり漫才で
一時代を築くことになります。
ドラマでのキースの渡米のエピソードも、このような横山エンタツの
史実の下敷きがありました。
なおドラマではキースは当初から北村笑店の専属芸人ですが、
前述のように吉本興業部と関わりを持ったのは34歳以降です。
いずれにしてもキースは渡米によって大きな影響を受けて、芸人としても
大きく成長しそうですね♪
このあたりは楽しみです!
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