わろてんか|関東大震災での風太の活躍がすごい!実話は?
朝ドラ『わろてんか』では、当時としては未曽有の大惨事だった関東大震災が発生します。
周知のとおりこの地震によって東京や神奈川は壊滅的な被害が生じましたが、
北村笑店は未だに関東に進出しておらず、被害は受けていません。
しかし番頭の風太が大震災の際には獅子奮迅の活躍をすることになります。
このあたりを実話と併せてご紹介します。
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関東大震災での風太の活躍がすごい!実話は?
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関東大震災は大正12年9月1日に発生し、東京や神奈川を中心におよそ10万5000人もの
被害を出しています。
ドラマでもこのあたりは史実通りに描かれそうですから、当時の首都圏は壊滅的な打撃を
受けるはずです。
北村笑店は関東に寄席を持っていないので大震災の被害を受けていませんが、
藤吉が気になるのはキースの安否です。
彼は北村笑店を辞めた後に見聞を広めるためにアメリカに渡りますが、帰国後は
大阪の寄席ではなく、東京の寄席で活動しているからです。
そのため藤吉はその安否を確かめるために、風太を東京に送ることになるのです。
またてんの提案で救援物資を持参させて、被災した芸人たちを助けることになります。
伊能や東京の寄席で活動していたことのあるリリコもこの提案に賛成して、物資集めをはじめます。
このように風太は救援物資を持参して、一路東京を目指すことになるのです。
そして東京での風太の活躍は目覚ましく、キースを発見したばかりか、キースが
「東京のお母ちゃん」として慕う志乃(銀粉蝶)も一緒に大阪に連れて帰ります。
キースも志乃も大震災で被災しており、志乃に至っては頭にケガを負っていることから、
風太がやって来るのはまさに「地獄に仏」といったところ。
さらに風太は東京の芸人たちが大阪で仕事をする橋渡し役も務めます。
浅草をはじめとした東京の繁華街は壊滅的な打撃を受けており、寄席も営業することが
できずに、東京の芸人たちは仕事をすることすらままなりません。
そんな東京の芸人に救いの手を差し伸べるのも風太の役目となります。
まさに風太は獅子奮迅の活躍といったところですが、このあたりはモデルとなっている
林正之助の実話が下敷きになっています。
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他の記事でもご紹介しましたが、関東大震災から1か月後の大正12年10月に正之助は
吉本せいの命を受けて、関東に赴いています。
その際には2人の支配人とともに、食糧や毛布80枚などの救援物資を持参しています。
せいはかねてから東京の一流芸人を吉本の高座に上げることで、そのコネクションづくりが目的でした。
とは言え、正之助は焼け野原となった首都圏を物資持参で歩き回り、三代目柳家小さんや
三遊亭圓歌、柳亭左楽、桂小文治などを探し出し、救援物資を届けています。
また当時の東京や神奈川の寄席は大きな被害を受けたことや大震災後の自粛ムードなども
あって、寄席の興行はしばらくおこなえなくなりました。
そのため小さんや圓歌などはこぞって大阪の花月の舞台に立ち、吉本せいの目論見は大当たりとなります。
このようにドラマの風太の救援隊は実話で、当時の吉本興業部は被災した多くの関東の
芸人たちを救っていたのです。
なおこのあたりの詳細は次の記事をどうぞ。
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