わろてんか|吉本の花月も関東大震災で被害を受けていた!

 

朝ドラ『わろてんか』では関東大震災が発生して、東京や神奈川の寄席が壊滅的な被害

を受けることになります。

 

これはまさに史実と同じで、大正12年(1923年)9月に関東大震災が発生した時には、

浅草や横浜の寄席は地震とその後の火災によって壊滅的な被害を受けています。

 

藤吉の北村笑店は未だに首都圏に進出していなかったので無傷でした。

 

ところがそのモデルとなっている吉本興業部の寄席の花月は、大震災の被害を受けていました。

 

 

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吉本の花月も関東大震災で被害を受けていた!

 

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実は関東大震災が発生した大正12年には、吉本興業部は首都圏に進出を開始していました。

 

当時は首都圏に2つの寄席を持っており、それは神田花月劇場横浜花月劇場です。

 

神田花月は大正10年(1921年)に経営不振に陥っていた川竹亭という寄席を買収して

花月としてオープンさせたもので、当初の吉本興業の関東での拠点になっていました。

 

横浜花月は大正11年(1922年)に、伊勢佐木町の新富亭を買収して、花月と改めて

オープンしたものです。

 

神田花月は大正11年の元旦に、横浜花月は同年の5月にオープンしており、

いずれも関東大震災が発生した前の年です。

 

そしてどうやら大震災はこれら吉本所有の2つの花月に深刻な被害を与えたようです。

 

神田花月に至っては、震災後の資料はまったく見当たらないので、震災をきっかけに

閉鎖に追い込まれた可能性もあります。

 

なお、現在は吉本の神保町花月劇場がありますが、戦前の神田花月とは無関係です。

 

しかし横浜花月のほうは時期は不明ですが再オープンにこぎつけており、

戦後は横浜グランド劇場と名前を改めて洋画専門の映画館となっています。

 

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とは言え、この関東大震災が吉本興業部に与えた影響は少なくありませんでした。

 

吉本興業部は大正10年から11年にかけて、大阪の演芸界を席巻して、次なる目標を

首都圏への進出と定めます。

 

そのため前記の2つの花月を足掛かりに本格的に、関東に進出する予定でした。

 

ところが関東大震災で2つの寄席が大きな被害を受けたことで、首都圏への進出は

いったん棚上げされてしまいます。

 

結局、吉本興業部が再び首都圏に寄席をオープンさせるのは、昭和2年(1927年)の

浅草「遊楽亭」となりますから、大震災は大きく計画を狂わせたことになりますね。

 

ドラマでは藤吉やてんの北村笑店は関東大震災の被害とは無縁でしたが、

モデルとなっている吉本興業部は大きなダメージを受けていたのです。

 

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