わろてんか|飛鳥(おときと風太の子供)はどうなる?モデルは林マサ
朝ドラ『わろてんか』では、ようやくおときと風太が結婚しました。
さらにおときが懐妊して、藤吉が生まれてくる子供の名付け親になります(「飛鳥」と命名されました)。
どのような子供が生まれてくるのか楽しみですね~
ところでこの子のモデルとなっているのが、林正之助の一人娘の林マサです。
彼女は後に吉本興業の9代目社長の林裕章の妻となっていますが、「お家騒動」も引き起こしています。
そのあたりをご紹介いたします。
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飛鳥(おときと風太の子供)はどうなる?モデルは林マサ
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林マサは吉本興業の2代目社長で、中興の祖とも言える林正之助の一人娘です。
その生い立ちなどはほとんど明らかになっていませんが、婿養子に迎えた林裕章(旧姓猿丸)が
昭和46年(1971年)に吉本興業に入社。
以降はテレビ・ラジオ部長や専務などの要職を歴任し、平成11年(1999年)には
9代目の社長に就任しています。
(右が裕章)
在任中は東京の新宿にルミネtheよしもとを開設し、M-1グランプリの創設にも寄与しました。
しかし平成15年(2003年)から体調不良となり、平成17年(2005年)1月に癌によって
亡くなっています(享年62歳)
そしてその妻の林マサは裕章が社長在任中には院政を敷いたとも言われ、吉本興業内では
かなりの権勢を振るったとも言われています。
(林マサ)
確かに父親の正之助の功績は非常に大きく、彼の存在なしでは吉本興業は語れないと言っても
過言でありません。
そのためマサは直接は吉本興業入りしてはいないものの、創業家の跡取り、そして大株主として
隠然として権力を握っていたようです。
ところがその晩年にはマサは「お家騒動」を引き起こすことになります。
2007年1月に元暴力団幹部で実業家の男性が、当時の吉本興業の副社長だった大崎洋氏に
創業家の一族を経営陣に送り込むことを強要。
つまり吉本興業に「大政奉還」を突き付けたのですが、吉本側は断固としてこれを拒否。
するとマサも表舞台に出てきて、週刊誌上で吉本興業の特別顧問の中田カウスを痛烈に批判
するなどのバトルに発展しています。
さらに2009年には中田カウスが何者かに襲撃されるという事件も発生して、事態は泥沼化して
いきました。
このあたりの詳細は不明点が非常に多いのですが、最終的には吉本興業は上場廃止して
創業家の影響力を断ち切っています。
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また正之助、マサに共通する暴力団関係者とのつながりもこの機会にピリオドを打ったようです。
この「お家騒動」は2009年10月にマサが乳がんで亡くなったため(享年65歳)鎮静化していきます。
どうやら吉本興業に「大政奉還」を迫った実業家は、「乗っ取り」を画策していたようでした
が、その神輿役だった創業家の娘を失ったことで、計画は立ち消えとなったようです。
このように林正之助の一人娘のマサは人生の晩年で、吉本興業と揉めに揉めています。
当然のことながら、このあたりはドラマで描かれることはありませんが、おときと風太の子供が
どのように育っていくかにつきましては非常に興味深いですね♪
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