わろてんか|ミスワカナは引き抜かれていた!ミスリリコは大丈夫?
朝ドラ『わろてんか』ではミスリリコアンドシローのコンビが結成され、北村笑店でも
大々的に売り出されることになります。
他の記事でもご紹介しましたが、モデルとなっているのは戦前の吉本興業部に所属して、
流行歌漫才(歌謡漫才)で一世を風靡したミスワカナと玉松一郎のコンビです。
しかしこのコンビが吉本興業部に在籍したのはわずか3年ほどで、その後は松竹系の
新興キネマに引き抜かれています。
当時としては大事件になったミスワカナと玉松一郎のコンビの引き抜き事件の詳細をご紹介します。
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ミスワカナは引き抜かれていた!ミスリリコは大丈夫?
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ミスワカナと玉松一郎が新興キネマに引き抜かれたのは、昭和14年(1939年)3月のことです。
新興キネマは演芸部を立ち上げて、秘密裡に吉本興業部の人気芸人たちに接触し、
続々と引き抜きを敢行していきました。
それまでは松竹は大劇場でのレビューやショー、そして映画、吉本興業部は寄席の興行と
住み分けができていたのですが、松竹は掟破りに出たのです。
その背景としては複数の理由が考えられ、昭和12年(1937年)の東宝による長谷川一夫
引き抜き事件などが挙げられています。
後発の映画会社の東宝にごっそりと看板俳優を引き抜かれた松竹が、東宝と業務提携していた
吉本に牙をむいたという見解です。
さらに当時は戦局の拡大で映画の上映制限などもあって、松竹は興行のコンテンツとして
お笑い芸人を欲したなどとも言われています。
引き抜きはミスワカナと玉松一郎、御園ラッキー・鹿島セブン、あきれたぼういずなどの
当時のトップスターたちに及んでいます。
また花菱アチャコやあきれたぼういずのリーダーだった川田義雄らも引き抜かれそうになって、
吉本側はギャラのアップなどで引き留めています。
そしてミスワカナと玉松一郎は吉本の給与が月230円だったところ、新興は月給1000円、
専属料7000円、レコードの吹込みやラジオ出演は自由という破格の条件でした。
また吉本入りしてすぐにスターになったワカナに対しては、吉本の古参芸人によりひがみや
やっかみ、一部の幹部社員からのぞんざいな扱いなどもあったようで、彼らに対する不満も
移籍の一因となったようです。
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また後に吉本の社長となる林正之助は、横山エンタツが自分たちと比肩するほどの人気コンビと
なったワカナと一郎を追い出すために、新興キネマへの移籍を焚きつけたと語っています。
この事件は吉本側が法的な手段に出るなどヒートアップしたため、最終的には警察が乗り出して
両社を和解させています。
今後は吉本の芸人を引き抜かない代わりに、ワカナや一郎、ラッキー・セブン、
あきれたぼういずなどの新興キネマへの移籍を認めることで決着しました。
吉本側は数組の人気芸人を失ったばかりか、この事件をきっかけに所属芸人のギャラが大幅にアップしてしまったので大きなダメージとなりました。
新興キネマへ移籍した後もワカナと一郎のコンビはトップスターとして活躍しましたが、
後に正之助に吉本復帰を願い出ていますが拒絶されています。
このように引き抜きという事情があったにせよ、ミスワカナと玉松一郎のコンビは自らの意思で
吉本興業部を飛び出しています。
彼らがモデルとなっているミスリリコアンドシローのコンビも気になりますが、ドラマでは
リリコは北村笑店の生え抜きに近い存在です。
また松竹や新興キネマのようなライバル会社も登場していませんし、恐らくは大丈夫のよう
ですね~
彼らの北村笑店での末永い活躍を願うばかりです♪
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