あさが来た|あさとはつは本当は不仲だった?広岡浅子と三井春の関係
朝ドラ『あさが来た』の視聴率が、自己最高の27.2%を記録しました。
いよいよ30%超えも視野に入ってきましたね~
最高視聴率を記録した回は、和歌山に行くはつ(宮崎あおい)があさ(波瑠)
の加野屋に泊まりに来た時のエピソード。
今井家以来の姉妹の水入らずやお互いを励ます姿には感動した視聴者の方々も
少なくなかったのですね~しっかりと視聴率に反映されていました。
対照的な運命を辿る あさとはつの姉妹愛は、このドラマの見どころでもありますよね♪
ところであさとはつのモデルとなった広岡浅子と三井春の姉妹の関係は、
どうだったのでしょうか?
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あさとはつは本当は不仲だった?広岡浅子と三井春の関係
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まず以前も書きましたが、あさのモデルの広岡浅子とはつのモデルの三井春は
異母姉妹で父親だけが同じです。
またふたりの母親は、いずれも父の三井高益の妾です。
しかもその後にわかったことですが、高益の正妻の子どもは5人いましたが、
すべて若くして亡くなっています。
そのため高益は親戚筋から高喜を養子として迎え、家督を継がせることになります。
高喜は浅子よりも26歳上の義兄となったわけですが、
さらにその後に春を高喜の養子にしています。
このあたりは非常に複雑ですね~家同士の結びつきを強めるための処置らしいのですが、
これにより浅子と春は義理の叔母と姪のような関係になっていましました。
実はこんなにも複雑だった浅子と春の関係でしたが、さらに注目すべきは
浅子と春の関係を示す資料がほとんど存在しないことです。
『あさが来た』の大ヒットを受けて、このところの広岡浅子ブームで
浅子にまつわる資料なども次々と登場しています。
しかし不思議と浅子と春の関係を表すような資料は、ほとんど出てきていません。
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またこれと併せて、広岡浅子は いっさい春について触れていない
ことも気になります。
後に有力な実業家となる浅子は多くの自筆の原稿を残しており、
取材などで発した言葉も後世に残っています。
しかし春について浅子が綴ったり、語ったりした資料は現時点で存在しません。
ふたりの関係は複雑だったと言っても、嫁ぐまでは姉妹として同じ家で育ったはず。
それにも関わらず、浅子が春について沈黙を守ったことは、
やはり何かありそうですよね~
ドラマでは仲の良い今井家の姉妹ですが、
三井家の姉妹は実は不仲だったのかもしれませんね。
またふたりの父親の高益も春よりも利発な浅子をかわいがったことや
妾の中でも浅子の母親を特に愛しており、
後年は後妻のように扱ったことなども知られています。
これらに加え裏は取れていませんが、ふたりの嫁入りの際にも
高益はお気に入りの浅子には豪華な嫁入り道具を用意したとの記載も目にしました。
どうやら浅子と春は、平等に父親の愛情を注がれたわけではなさそうですね。
これが浅子と春の間に溝を生んでしまったのかもしれません。
そして浅子より2つ年上だった春は嫁ぎ先の天王寺屋が破産した後に、
25歳の若さで病死してしまいます。
ドラマではあさとはつの美しい姉妹愛が描かれていますが、
はつのモデルの三井春は想像以上に不憫な運命を辿ったのかもしれません。
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