わろてんか|ミヤコ蝶々はドラマに出てこないの?戦前の吉本に所属
朝ドラ『わろてんか』の北村笑店のモデルとなっているのは、周知の通り吉本興業です。
そのため横山エンタツ・花菱アチャコがモデルのキースとアサリやミスワカナと玉松一郎が
モデルのミスリリコアンドシローなど、実際に戦前の吉本興業部に所属した人気芸人が
モデルとなっているキャラクターたちも登場します。
ところで戦前の吉本興業部に所属した大物芸人として、ミヤコ蝶々さんが挙げられます。
彼女は言わずと知れた関西を代表するような大物芸人で、平成12年(2000年)に80歳で
亡くなっていますが、没後はミヤコ蝶々記念館まで建造されています。
傑出したネームバリューもあるミヤコ蝶々さんですが、ドラマには出てこないのでしょうか?
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ミヤコ蝶々はドラマに出てこないの?戦前の吉本に所属
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ミヤコ蝶々さんは大正9年(1920年)生まれで、7歳の頃から父親が立ち上げた芝居一座の
座長として巡業をはじめています。
その後は漫才や喜劇、女剣劇やバレエ、三味線などを身に付けましたが、昭和17年(1942年)に
吉本入りするまでは、いわゆる「ドサ回り」の無名芸人でした。
ミヤコさんを発掘したのは、吉本せいの実弟の林正之助です。
当時は戦局の進行によって多くの所属芸人たちが召集されて人出不足だったことや、
昭和14年(1939年)に松竹系の新興キネマに引き抜かれたミスワカナの後釜に据えようとした
意図がありました。
当時のミヤコさんは22歳でありながら芸歴は既に15年にも及び、正之助や吉本の期待は
非常に高いものでした。
最初からトリの前にあたる「モタレ」というポジションで、寄席に出演させるほどの
期待の高さでした。
ところが吉本時代のミヤコさんは売れませんでした。
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それまで田舎ばかりを回って巡業していたせいか、その芸はどこか田舎くさく、
都会ではなかなかウケませんでした。
さらに昨日まで田舎回りをしていた旅芸人に対しての正之助らの厚遇は他の芸人たちの
反発を買って、ミヤコさんは陰湿ないじめを受けています。
たとえば少ない持ちネタを先に出演した漫才師にやられたり、ミヤコさんがモタレで
出演すると、申し合わせたかのようにトリの漫才師が休んでしまったりなど。
このような経緯からミヤコさんもかなり弱気になったようですが、正之助が励ましの意味で
贈った別染めの着物には大喜びしたそうです。
当時は古着ばかり着ていたので、「そのありがたさは口ではいえないくらい」と後年に
語っています。
このように後に上方漫才界の大物となるミヤコ蝶々さんも、戦前の吉本興業に所属しており、
吉本せいとも面識があったはずです。
しかし吉本時代は鳴かず飛ばずだったことから、ドラマへの登場は微妙です。
さらに前記のように吉本にスカウトされたきっかけのひとつがミスワカナの引き抜きですが、
ドラマのミスリリコが引き抜かれる可能性は低いでしょう。
このような経緯を鑑みれば、やはりミヤコ蝶々さんのドラマへの登場の可能性は低いと
言わざるをえません。
たとえ登場したとしても、史実とはかなり設定を変えてくることも考えられます。
いずれにしてもこのあたりがどうなるのかは注目ですよね~
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