マーカスショウの内容をまとめてみた!吉本が召集した日本公演
朝ドラ『わろてんか』で登場するマーチンショーのモデルは、昭和9年(1934年)に
吉本興業部がアメリカから召集した「マーカスショウ」です。
このショーは前年にオープンした丸の内の日本劇場で、3月1日から開催。
当時の日劇は4000人を収容できる「東洋一」の劇場でしたが、連日超満員となるほどの
人気でした。
そのため吉本は大阪でもマーカスショウを開催しますが、こちらも大人気のまま終演。
マーカスショウは日本に「ショー」という言葉を根付かせて、日本の興行の歴史にも
名を残すことになりました。
また当時の多くの有名人たちもこのショーを見ており、随筆家の寺田寅彦や小説家・演出家
として活躍した獅子文六なども感想を綴っていました。
当時としてはかなりのインパクトを残したマーカスショウですが、意外にもその内容は
あまり知られていません。
また資料なども断片的で少ないのですが、その内容をまとめてみました。
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マーカスショウの内容をまとめてみた!吉本が召集した日本公演
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①銀粉ショー
まず当時の人々がマーカスショウを見て大いに驚いたのが、銀粉ショーです。
天井から銀粉を塗った美人ダンサーが降りてくるという演出に、
観客達は度肝を抜かれています。
戦後のキャバレーなどで頻繁におこなわれることになる銀粉(金粉)ショーですが、
当時の日本ではほとんどおこなわれていませんでした。
前記の寺田寅彦は「健康によくないだろう」との感想を残しています。
なお当時はかなり検閲が厳しい時代だったので、ダンサーは裸ではなく、
胸や腰は布で隠していました。
②バレリーナ
マーカスショウには、当時のレビューの定番だったバレリーナたちの踊りも盛り込まれて
いました。
しかしバレリーナたちはすべて外国人でしたから、このあたりもかなりのスケールで
華やかだったようです。
多くの観客達が本場の「バレリナガール」に魅了されたようです。
③突進する機関車
マーカスショウでは舞台の奥から機関車のヘッドライトが客席に突進するような演出も
されています。
これは徐々に光を強くして、観客の目を錯覚させてそのように見せています。
現在では他愛ない演出でしょうが、当時としては斬新だったようです。
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④アクロバット・曲芸
マーカスショウには曲芸団が帯同しており、日本公演でも見事なアクロバットショーを
披露しています。
前記の寺田も「翻筋斗(とんぼがえり)の一景などは、見るだけで老人を若返らせる」と
感心しています。
⑤タップダンス
タップダンスは既に当時の日本の寄席や舞台などで披露されていましたが、マーカスショウの
タップはレベルが高かったようです。
振付師でもあったレオン・ミラーが演出を担当した本場のタップダンスは、多くの観客達を
魅了しました。
前出の獅子文六は「レオン・ミラーの芸が出色で、あのステップならどの大劇場でも喜ぶだろう」
と絶賛しています。
他にもマーカスショウは歌や踊りにコメディショー、ドラムソロなど多彩なプログラムを
兼ねそろえていましたが、このあたりの内容の詳細は不明です。
また後に映画俳優や指揮者として成功するダニー・ケイも、ダンサーとして参加しています
(当時は無名)
マーカスショウ自体はアメリカの地方巡業が中心の二流どころのレビュー団でしたが、
当時は本場のレビューを見たことある人は少なかったので、インパクトが非常に強く、
日本公演は大成功に終わっています。
日曜日などの休日は、観客の入場だけで4時間以上もかかったと言われていますから、
その盛況ぶりも想像できるはずです。
資料が非常に少ないので本当にザックリとなってしまいましたが、マーカスショウの内容を
まとめてみました。
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こんにちは
マーチンショーの話しが出てきたときに、もしかしてと思っていたのですが、うちの祖父が残した写真に、マーカスショーの女優と思われる人の写真やステージの写真があって、今朝はじめて検索してみました。そこに銀粉ショーの話しが書かれていて、その人の名前がMs.Hachaということを知りました。祖父の写真にもHa. Chaと書かれた写真があって、ああやはり間違いないわと確信しました。おもしろいですね。
Junpei64様
はじめまして。
コメントありがとうございます。
マーカスショウの写真があるなんてすごいですね~
WEBや図書館などでも本当に資料が少ないので、貴重ですよ♪
またミス・ハッチャは「ブロンドビーナス」と呼ばれた
銀粉ショーの看板女優さんですね♪
おじい様の思い出とともに大切にしてくださいねw
コメント及びご拝読感謝いたします。