あさが来た|あさの娘千代の今後は?モデルの亀子の結婚や子供、生涯
朝ドラ『あさが来た』では、いよいよあさと新次郎の
子どもが産まれることになります。
母親と同じく難産だったあさは無事に女の子を出産して、
名前は正吉が三日間も熟考の末に「千代」と名付けられます。
このところ体調不良の目立つ正吉ですが、待望の初孫に会えたことは
この上ない喜びだったはずです。
千代もそんな正吉やあさたち加野屋の人びとの愛情をたっぷりと注がれて、
健やかに育っていきそうですね~
ところでこのあさと新次郎の娘の千代につきましては、以前の記事で
何度か断片的に書いてきましたが、ここでいったんまとめてみます。
千代のモデルとなった広岡亀子と比較して見てみましょう。
コンテンツ
あさの娘の千代の今後はどうなる?結婚や子供や生涯
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あさの娘の千代のモデルとなったのは、広岡浅子と信五郎の娘の亀子です。
(広岡亀子)
亀子は1876年(明治9年)生まれ。ドラマでも千代が生れるのは同年ですから、
このあたりは一緒ですね。
またドラマで千代の少女期のキャストの鈴木梨央ちゃんが発表になった際に、
あさは商売が多忙で千代は淋しい思いをするとありました。
これも亀子と同じで、少女時代には母親の浅子が頻繁に九州の炭鉱や
東京に行ったりするので、もっぱら女中の小藤(ふゆのモデル)が
亀子の世話をしていたようです。
さらに亀子は京都府高等女学校(現在の府立鴨沂(おうき)高校)に、
進学することになります。
そこで亀子は後に母親の浅子の教育者としての後継者となる井上秀と出会いますが、
ドラマでも同じく秀のモデルとなる田村宜(キャストは吉岡里帆さん)と
出会うようですね。
そして亀子は1901年(明治34年)に26歳で、子爵の一柳末徳の次男の
恵三と結婚します。(恵三が婿養子となる)
浅子が17歳で結婚しているのに比べると、亀子は比較的遅い結婚ですよね~
亀子の夫となる恵三は、東京帝国大学を卒業したエリートで頭脳明晰。
浅子や信五郎は広岡家の分家筋でしたが、やがて恵三が広岡家の後継者となり、
加島銀行の頭取や大同生命の社長を務めます。
実際に経営者として辣腕を振るった広岡恵三にあたる人物のキャストは
未だに発表されていませんが、こちらも楽しみですね~
浅子はドラマのあさのように難産に苦しみますが、
その娘の亀子は子宝に恵まれます。
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亀子は恵三との間に一男四女をもうけます。
そして長男だった喜一氏は、後に浅子が設立した大同生命の取締役も務める
ことから優秀だったのですね~
その後亀子は1973年(昭和48年)に97歳で天寿をまっとうします。
母親の浅子も当時としては長寿だった71歳で生涯を終えていますから、
親子そろって長生きだったのですね~
ただし、亀子は浅子とはまったく性格が異なり
家庭的でお淑やかな女性でした。
またこちらも浅子とは対照的で、家業にはあまり関心がなく、
広岡家の経営などには関わりませんでした。
どちらかと言えば、亀子は浅子よりも父親の信五郎に似たようですね~
ただし亀子は気立てがよくて、誰からも好かれたとのこと。
母親の浅子とも生涯にわたって良好な関係だったと言われています。
そのため『あさが来た』の千代も母親のあさとは異なり、
お淑やかな女性として描かれそうですね~
どちらかといえば、あさよりも姉のはつに似ているのかもしれません。
千代の少女期のキャストは、じゃじゃ馬だったあさの少女期を演じた
鈴木梨央ちゃんです。
芸達者な梨央ちゃんが、このふたりの役をどのように演じ分けるかも注目ですね!
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