わろてんか|戦時中の映画法による映画の検閲が酷かった!
朝ドラ『わろてんか』では、舞台が戦時中へと突入します。
昭和12年(1937年)に日中戦争が勃発してやがて泥沼化していきます。
そして戦火は拡大して太平洋戦争にまで発展していきます。
明治や大正時代が起点の朝ドラではこのあたりは避けて通れないところですが、しばらくは
暗い時代が続くことになります。
ところで今作の主要登場人物である伊能栞は映画作りにも関わる実業家。
そして北村笑店はやがて伊能商会と提携して映画づくりをはじめることになります。
ところが当時は「映画法」という悪法が存在して、とんでもない検閲もおこなわれていました。
そのあたりの詳細をご紹介します。
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戦時中の映画法の検閲が酷かった!
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まず前提として明治憲法にも表現の自由は保障されていましたが、「法律の範囲内の自由」
とされていたため、戦時中の映画作りは映画法の制限を受けることになります。
映画法とは日中戦争が本格化した昭和14年(1939年)4月に制定された法律で、幅広い検閲を
認めたばかりか、外国映画の上映制限やニュース映画や文化映画の上映義務なども定めていました。
これによって恋愛映画や娯楽映画などは、検閲段階で排除されることが多くなります。
また映画法は映画に関与する者すべてを登録制として、その際に試験を課していました。
試験は「技能考察」と「性格常識考察」からなって、技能に関しては俳優らの専門家が
審査にあたりました。
問題だったのは「性格常識考察」のほうで、審査は内務省の役人が担当。
これによって反体制思想はもちろんのこと、リベラリストなどの映画人は映画界から
事実上の追放をされてしまうことになりました。
もちろんそのような人物が制作に関与した映画は検閲によって、内容の大幅な変更や
上映禁止処分などを受けることになります。
ドラマでもリベラリスト的な思考をする伊能が目を付けられるようで、北村笑店の
映画作りも困難を極めるようです。
この映画法によって当時の映画界は大恐慌に陥れられて、後年にはかなりの「悪法」とされました。
映画法の検閲をパスできる脚本は3本に1本だったとも言われており、いかに当時の検閲が
厳しかったかを物語っています。
3本に2本は没(内容を変更して再審査をすることは認められていた)ですから、
まさにとんでもない数字です。
ちなみにこの映画法の制定とは無関係に、戦前の日本映画はキスシーンが一切ありませんでした。
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当時はキスや接吻は破廉恥なものと考えられており、大衆が視聴することになる映画の中で
描写するのは問題があるとされたからです。
そのため戦前は恋愛映画にすらキスシーンがなかったのです。
映画にキスシーンが登場したのは戦後で、GHQが「ラブシーンでキスしないのは不自然」と、
わざわざキスシーンを挿入することを要請したことがきっかけです。
そして日本映画ではじめてキスシーンが登場したのは、昭和21年(1946年)の
「はたちの青春」でした。
大坂志郎と幾野道子がほんのわずかに唇を重ねるシーンが描かれましたが、
これが話題を呼んで映画館は連日の大盛況だったそうです。
ちょっと話が脱線してしまいましたが、伊能やてんたちの映画作りにも注目ですね♪
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