半分、青い。ディスコ・マハジャロのモデルは?鈴愛もボディコンに
朝ドラ『半分、青い』では、鈴愛は律と正人とともに、なんとディスコのマハジャロに行くことになります。
ネームを紛失したことから秋風羽織にクビを言い渡され、東京最後の夜ということで想い出づくりに行くのですが、バブル全盛期のディスコを知っている方には懐かしいところ。
また永野芽衣さん演じる鈴愛のボディコンなども興味をそそるところですね♪
そんな鈴愛らが行くディスコ・マハジャロのモデルを紹介します。
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ディスコ・マハジャロのモデルは?鈴愛もボディコンに
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ディスコ・マハジャロのモデルとなっているのは、実際に存在した高級ディスコの「マハラジャ東京」(MAHARAJA TOKYO)です。
このディスコは東京の港区麻布十番に昭和59年(1984年)12月にオープン。
これまでのディスコの概念を覆すような豪華絢爛な内装と、厳格なドレスコード(ジーンズなどでは入場できない)や男性同士の入店禁止、そして芸能人御用達などで話題を呼んで、1980年代末から1990年代初頭の高級ディスコブームをけん引したお店のひとつです。
およそ700人が収容できる大バコで、入場料も男性が4,500円、女性が4,000円とまさにバブリーでした。
さらに全盛期には「お立ち台」も登場して、派手なボディコンのミニスカートで扇子を振りながら踊る「お立ち台ギャル」はバブル期の象徴でもありました。
(写真はジュリアナ東京)
昭和63年(1988年)の照明落下事故でマハラジャ東京のブームも下火になりますが、平成3年(1991年)に芝浦に伝説のディスコ「ジュリアナ東京」がオープンすると再び高級ディスコがブームとなって、マハラジャ東京にも火が付きます。
(写真はジュリアナ東京)
しかし平成6年(1994年)にジュリアナ東京が閉店するとブームも鎮火して、マハラジャ東京も平成9年(1997年)9月に閉店しています。
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まさにバブルの象徴と言うべきお立ち台ギャルやマハラジャ東京ですが、平成9年まで営業していたというのは驚きですね~
そして平成15年(2003年)8月には六本木にマハラジャ東京が復活していますが、平成17年(2005年)1月に閉店しています。
ジュリアナ東京のものですが、当時の高級ディスコの映像がありましたのでご紹介します。
いや~当時は既にバブル経済は弾けていましたが、まだまだ日本列島はきらびやかな時代でしたね~
そんな時代の象徴とも言えたマハラジャ東京やジュリアナ東京でした。
ドラマでも鈴愛はマハジャロに行って、バブリーなお姉さんたちともに、お立ち台で踊ることになります。
このあたりも楽しみですね♪
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