まんぷく|福子の子供のネタバレ!安藤仁子の子供と違う
朝ドラ『まんぷく』では、ヒロイン福子と萬平は2人の子供を授かることになります。
泉大津でたちばな塩業を立ち上げて、事業が軌道に乗りつつあった昭和22年(1947年)に誕生するのが長男の源(げん)です。
そして昭和24年(1949年)に、萬平が脱税の罪で東京第八軍刑務所に拘束中に誕生するのが長女の幸(さち)。
他の記事でもご紹介しましたが、いずれの人物にもモデルが存在しますが史実の安藤百福と安藤仁子の子供たちとはかなり異なる点も存在します。
そのため福子の子供と安藤仁子の子供の比較という視点でまとめてみました。
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福子の子供のネタバレ!安藤仁子の子供たちが違う
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福子と萬平のモデルとなっている安藤仁子と百福の子供たちは以下のようになります。
安藤宏寿(1931年11月24日-2007年6月26日・養子)
長女(1945年・早産児のため死去)
安藤宏基(1947年10月7日-)
安藤(堀之内)明美(1949年1月26日-)
上記のように安藤百福と仁子は4人の子供がいましたが、長男の宏寿(ひろとし)は百福の台湾時代の第1夫人呉黄梅との間の子供で、戦時中に引き取って養子として育てています。
そして百福と仁子の最初の実子となった長女ですが、終戦直前に夫婦が兵庫県上郡に疎開中に身ごもっています。
しかし妊娠8か月の早産児として生まれたため、直後に亡くなってしまっています。
百福は仁子との間の第一子の誕生を非常に楽しみにしていましたのでその死を知るや怒りが収まらずに、仁子の顔も見ずに産婆の家に怒鳴り込んだというエピソードが残っています。
そして結婚から2年後に誕生したのが次男の宏基(こうき)で、現在の日清食品ホールディングスの代表取締役SEOです。
(左から仁子・宏基・須磨(仁子の母)・明美・百福)
ドラマの福子の長男の源のモデルは形式的には長男の宏寿となりますが、実質的には次男の宏基となりそうです。
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と言いますのも、宏寿は仁子の実子ではありませんし、子供の頃から家に居つかずに、百福がチキンラーメンを開発した時にも積極的に協力はしていなかったようです。
さらには宏寿は後に日清食品に入社して、1981年(昭和56年)には二代目社長となりますが、会長に退いた百福と対立してわずか2年で追放されています。
さらに後に実の母親の呉黄梅のことで百福を批判するなど、あまり良好な関係ではなかったようです。
そのため恐らくはドラマでは宏寿は「没」扱いで、源に関しては宏基の人物造形やエピソードなどが参考にされると思われます。
他方で仁子の長女の明美に関しては実子でありますし特に問題のある人物などでもないので、ドラマの幸のモデルとしてエピソードなどはそのまんま描かれそうです。
ドラマで福子と萬平の間の2人の子供は単純明快に描かれそうですが、モデルの仁子と百福に関してはこのようにちょっと複雑な面もありました。
とは言え、次男の宏基は現在もロングセラーで知られる「日清焼きそばU.F.O.」や「どん兵衛」などを手掛けており、社長就任後も大胆な社内改革などで現在でも「敏腕社長」として知られる人物です。
また長女の明美に関しましても、百福や仁子の晩年まで関係は良好だったようですし、夫の堀之内徹は日清食品の監査役も務めています。
いずれにしても福子の2人の子供たちがどのように描かれるかは、非常に楽しみですね♪
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