まんぷく|鈴お母さんにイライラで毒親?モデルの須磨はどうだった?
朝ドラ『まんぷく』では、なんと福子のお母さんの鈴さんが家出をすることになります。
かねてから「武士の娘」であることを誇りにしており塩屋や女中は嫌だと言っていましたが、とうとう堪忍袋の緒が切れたようで、鈴は置手紙をして泉大津の塩田施設から出て行ってしまいます。
これまでもたびたびわがままを言って福子たちの足を引っ張ってきた彼女ですが、視聴者からは「かわいい」という意見もある反面、「イライラする」や「毒親」などの意見も目立ちます。
そんな鈴のモデルとなっている安藤須磨のキャラクターはどうだったのでしょうか?
他の記事でも須磨についてご紹介しましたが、さらに掘り下げて調べてみました。
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鈴お母さんにイライラで毒親?モデルの須磨はどうだった?
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まず安藤百福の妻である安藤仁子の母親の須磨は、終生仁子たちと同居して暮らしています。
仁子の父親の安藤重信が山っ気の多い人物で、学生時代は経済的に困窮した生活を強いられていますが、そんな中でも須磨は教育の大切さを知っており、仁子ら三姉妹を高等女学校まで行かせています(須磨も女学校卒で教師志望だった)。
またこれからは英語が必要になると考えていた須磨は、仁子を子供の頃から英語塾に通わせており、これが功を奏して彼女が都ホテルに就職する際には英語力も決め手になっています。
そのような経緯から仁子は百福と結婚する前から、「母親に食べ物の苦労だけは一生させない」と誓っています。
加えて須磨の実家は鳥取藩の藩士の家系で「私は武士の娘です」というのが口癖でした。
このあたりはドラマと同じですが、仁子によれば彼女は人前では決して弱みを見せない気丈な女性で、何が起こっても屏風のようにでんと構えていたそうです。
このあたりのエピソードに鑑みれば、ドラマの鈴とはキャラクターが全然違うように思えますね~
さらに百福と仁子が結婚後、家事と育児を一手に引き受けていたのは須磨でした。
百福の人生はまさに「七転び八起き」といったもので、それを支え続けていたのが仁子です。
そのため家事や育児は主に須磨が担当しており、仁子も「結婚後、母が一緒に来てくれてよかった。私を助けてくれた」と書き残しています。
また百福が泉大津で塩田を経営していた際には、須磨は若者の面倒を見るとともに、お金の管理も担当していました。
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塩田は最終的に従業員の若者たちが100名を超える大所帯となったためお手伝いさんも雇っていましたが、お手伝いさんが買い物に行った際もお釣りが1円、1銭でも合わない時は、須磨は目の前でそろばんを弾いて勘定が合うまでは動かなかったというエピソードもあります。
このあたりにも几帳面で勤勉な彼女の性格が窺えますね~
このようにドラマの鈴のモデルとなっている安藤須磨はまさに「明治の女」といった感じの女性ですね。
何かと騒がしく、騒々しい鈴とは似ても似つかなかったキャラクターと言えるでしょう。
そのため鈴のキャラクターはほとんどがドラマオリジナルと言って差し支えありませんね。
とは言え、真面目な登場人物だけではドラマは盛り上がりも欠けますし、コメディアスな役どころも必要なのは事実です。
今回の朝ドラでは、そんな役割を鈴が担うのでしょう。
時としてイライラさせたりすることもある彼女ですが、割り切って見れば意外にもかわいらしく映るかもしれないですよ~
なおドラマで描かれる鈴の家出ですが、近所のラーメン屋の清香軒に居候しており、間もなく自ら戻って来るというオチも付きますが、もちろん実話ではありません。
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