あさが来た|ディーンフジオカの五代友厚の死はいつ?死因は?

 

朝ドラ『あさが来た』では、あさ(波瑠)は五代友厚(ディーン・フジオカ)

の勧めで東京へ行き、商売の勉強をすることになります。

 

そこであさは大久保利通(柏原収支)に会い大いに語り合うのですが、

大久保は五代友厚の同郷の盟友です。

 

もちろん、これも五代の計らいによるものですね♪

 

ここまでドラマでは五代があさに恋心を抱くような微妙な関係も描かれましたが、

何はともあれ五代はあさの大恩人

 

早い時期から明治維新の際の世の中の激変を説いてきましたし、

たびたびビジネスについての的確なアドバイスをしてきました。

 

また加野炭鉱で事故が発生した時もあさに同行し、爆発現場での

名探偵ぶりも鮮やかでした。

 

そんな五代友厚ですが、リアルの五代は49歳の若さ(当時は平均寿命)で

志半ばで亡くなっています。

 

とすれば『あさが来た』でも、ディーン・フジオカさん演じる五代友厚の

死期や死因が気になりはじめるころです。

 

五代の碑

(阿倍野墓地にある五代友厚の顕彰碑)

 

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ディーンフジオカの五代友厚の死はいつ?死因は?

 

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史実の五代友厚が亡くなったのは、明治18年(1885年)のこと。

 

ドラマではあさが五代の勧めで上京するのは明治11年(1878年)ですが、

やはり史実と同じような時期に五代は亡くなってしまいます。

 

ドラマの舞台は、あさや加野屋が銀行の設立に向けて慌ただしく動いているころです。

 

五代もそれまでに大阪商法会議所(現大阪商工会議所)や大阪商業講習所

(現大阪市立大学)などを設立して、大阪経済を立て直しつつある矢先でしたが、

病魔は五代に忍び寄ってきます。

 

どうやら五代は病に冒されていることをあさや新次郎に告げていなかったらしく、

あさが五代の病気を知るころには既に手遅れの状態でした

(五代が病魔に冒される過程は映像で見せるかもしれませんが…)

 

そして東京へ療養へ向かった五代ですが、やはり二度と大阪に戻ってくることも

あさに再会することも叶いませんでした。

 

五代友厚の死因は?

 

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ドラマでの五代の死因は現時点で不明ですが、

リアルの五代は糖尿病で亡くなっています。

 

薩摩出身なので大酒のみだったのか、それとも甘いものが

ものすごく好きだったのかは不明ですが、糖尿病の悪化で命を落としています。

 

ただし、五代は死の直前まで仕事に励んでいます。

 

糖尿病の影響で視力が低下して、かなりやせ細ったとのことですが、

亡くなる直前まで仕事をしていたというのは五代の大阪復興への

熱意や執念すらも感じますね。

 

そしてかなり病状も悪化していたために東京で療養することになりますが、

すぐに亡くなってしまいます。

 

ドラマもこのあたりの流れと同じように描かれるようです。

なので東京へ向かう五代とあさの別れが、今生の別れとなることでしょう。

 

あさの師匠のような存在であった五代友厚には、まだまだドラマで

活躍してほしかったのですが、さすがに史実上の人物だけにムチャはできませんね。

 

言わずもがなですが、五代は明治の大阪に、そして日本に多大なる貢献をした人物。

ここまででもあさは五代から実業家として、そして人間としても多くの矜持を

得てきましたから、その最後は残念でなりません。

 

もちろん五代を失うことになるあさの心情は、察するに余りあるでしょう…

 

ドラマで五代友厚が亡くなるのは、第16週(1月18日~)のようです。

 

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