あさが来た|五代友厚が巻込まれた大事件は開拓使官有物払下げ事件!
朝ドラ『あさが来た』では、五代友厚が大事件に巻き込まれ
窮地に立たされることになります。
ここまで五代は実業家として下野してからは、金銀分析所で莫大な利益をあげて、
堂島米会所や大阪株式取引所、大阪商法会議所などを設立して
大阪の経済的な復興に大いに尽力してきました。
五代は薩摩藩出身で大久保利通をはじめとして明治政府の要人にも
通じていましたから、それらを活かしてビジネスは順風満帆といった感じでした。
そんな五代が巻込まれるのが、北海道で起こった
開拓使官有物払下げ事件です。
この事件を機に五代友厚は世間の激しいバッシングを浴びて、
窮地に立たされることになりました。
今回はこの開拓使官有物払下げ事件をご紹介します。
コンテンツ
五代友厚が巻込まれた大事件は開拓使官有物払下げ事件!
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開拓使官有物払下げ事件とは、1881年(明治14年)にリアルに起こった事件です。
簡単にこの事件を説明しますと、後に第2代の総理大臣になる
北海道開拓使長官の黒田清隆が1400万円ほどかけて建設した
炭鉱や工場、農園、船舶などをおよそ39万円ポッキリで
五代の経営する関西貿易商会へ売却した事件です。
(黒田清隆)
しかも代金の39万円も無利息の30年分割という、
ほとんどタダみたいな条件でした。
黒田と五代は同じ薩摩藩出身ということもあり、佐賀藩出身の大隈重信が大反対し、
マスコミにもすっぱ抜かれて黒田と五代は厳しいバッシングを浴びることになります。
結局、五代への官有物の払下げは中止になり、黒田は左遷という結末になりますが、
後の明治十四年の政変のきっかけとなります。
藩閥政治も激しく批判されたので、政府は同年に国会開設の勅諭を発して、
後に国会が開設されるきっかけにもなりました。
で、なぜこのようなことが起こったかといえば、政府内の藩閥による争いに
財閥や政商の利権争い が結びついたからです。
政府の主流派である薩摩出身の黒田は三井などの財閥や五代らの
政商と結びついていましたが、非主流派である大隈重信は
三菱の岩崎弥太郎と昵懇の仲。
また当時海運業を独占していた三菱が北海道で独占的に利権を握ることを
危惧した政府は、三菱の船舶の払い下げを却下するなど
ドロドロの綱引きが北海道で起こっていたのです。
黒田や政府の薩摩藩閥にとっては、北海道の官有物が三菱の手中に入ると
北海道に三菱王国ができる可能性もあるので、財閥を築かなかった
五代に引き受けを願ったというところでしょうか?
黒田が左遷され、払下げも中止になりましたが、結局明治十四年の政変で
大隈が政府から追放されると強力な後ろ盾を失った三菱に対し、
渋沢栄一、三井財閥、大倉財閥が反三菱連合を結成して三菱を総攻撃。
三菱が独占していた海運業に風穴を開けます。
しかしその後にも北海道の官有物を巡っては胡散臭いことが多々起こり、
資本金26万円の紋別製糖所が995円で払下げられたり、
資本金230万円であった北海道炭砿鉄道の前身事業が
35万円で払い下げられたりしました。
事件の概略はこんな感じですが、ドラマでも五代友厚は窮地に立たされます。
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五代を信じていた大阪の商人たちは、五代がこの事件で私腹を肥やそうとしたと
思って激怒します。
それを受けて五代は商法会議所の会頭を辞職しますが、
それでも商人たちの怒りは収まりません。
そこで騒動を収める役割を果たすのがなんと新次郎です!
五代は確かに格安で官公物を払下げを受けましたが、
あくまでも譲り受けた事業は赤字で、五代は損を覚悟で
北海道の開発のためにこれを受けたことを新次郎が代弁します。
その結果、商人たちの怒りは収まり、五代もいっそう大阪のために働くことを誓います。
さすが新次郎ですね~この人が本気で言うことには説得力がありますね♪
五代友厚が、はじめて新次郎に救われる時が来るのです!
リアルの五代も私利・私欲がなかったことから、
タダみたいな払下げを受けたのも、どちらかと言えば
これまで恩を受けた薩摩藩出身の政府高官への義理だったのでしょうか?
でも残念に思うのは、かの大久保利通がもう少し長生きしていれば
このような事件や争いも起こらなかったと思えることです。
重ね重ね大久保の早すぎる死は、日本にとって大きなダメージになりましたね…
本当に惜しい人を亡くしました(合掌)
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