あさが来た|升毅演じるあさの父今井忠興の死期はいつ?死因は?
朝ドラ『あさが来た』ではあまり描かれませんが、あさの父の今井忠興
(升毅)が開業した今井銀行は大成功します。
忠興は今井銀行の総長に就任し、そのかじ取りに大わらわといったところでしょう。
そんな今井銀行を目標にして、あさも加野銀行を設立・開業するのですが
なかなか苦労も絶えないところでしょう。
それにしても東京へ行ってからは、忠興がドラマに登場しなくなったのは
残念ですね~
あさが上京した際に、久しぶりに忠興の姿が見れたのは嬉しかったですね♪
ところでそろそろ気になりはじめるのが、忠興の死期です。
明治時代の日本人の平均寿命は40代だったことから気になりますね~
(旧三井銀行小樽支店)
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あさが来た|升毅演じるあさの父今井忠興の死期はいつ?死因は?
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まず前提として以前の記事でも述べましたが、ドラマの今井忠興は
広岡浅子の父の三井高益と義理の兄の三井高喜をミックスしたような存在。
三井高益は明治維新の10年も前の1858年に、すでに亡くなっています。
なので高喜が亡くなった明治27年(1894年)あたりになりそうです。
あさのモデルの広岡浅子が加島銀行を開業するのが明治21年(1888年)ですから、
その6年後です。
また浅子が潤野炭鉱の再開発に向かうのはその翌年の明治28年(1895年)ですが、
ドラマでは前倒しに描かれましたね。
とすれば今井忠興が亡くなるのは、あさが加野銀行を開業させ、経営を軌道に乗せた後、
成瀬仁蔵のモデルとなる成澤泉(瀬戸康史)と出会う前あたりになりそうです。
忠興の死因は?
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忠興のモデルの三井高喜の死因は不明です。
ですが高喜が亡くなったのは71歳なので、きっと何かの病気でしょう。
(明治時代でこの年齢なら、何かの病気になるでしょう)
前記の通り、明治時代の平均寿命は40代だったので、この高喜は
かなりの長生きをしたということになります。
今井忠興のドラマでの実年齢も現時点で60代あたりかと思われますので、
けっこうな長生きですね♪
恐らく忠興が亡くなる時も、祖父の今井忠政が亡くなった時のように、
漠然とした何かの病気ということになりそうですね。
ドラマではあさが加野屋に嫁入りした以降は忠興の露出も減って、
東京へ行った後はほとんど見ることがなくなりました。
しかし史実では広岡浅子は綿密に高喜と連絡をとっていたばかりか、
ここという場面では必ず高喜にアドバイスを求めています。
ドラマではあさのビジネス面の師匠は加野屋の白岡正吉(近藤正臣)であり、
五代友厚(ディーン・フジオカ)ですが、リアルではこの三井高喜であった
と言っても過言ではありません。
ドラマでは忠興はどちらかと言えばあさに対し、「やりたいならやれ!」
「勝手にやれ!」というスタンスですが、リアルでは綿密に
アドバイスを贈ったようですね♪
ドラマの後半ではあさにとって大切な人びとが亡くなってしまうことになりそうですが、
忠興がいなくなってしまうのも寂しいですね。
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