あさが来た|最後まで国や大阪に尽くした五代友厚の壮絶な死に様
朝ドラ『あさが来た』では、間もなく「五代様」こと五代友厚が
病に倒れることになってしまいます。
五代といえばあさを一人前の実業家として導いてくれた恩人ですし、
あさを巡る新次郎とのやりとりはドラマを盛り上げてくれましたね♪
もう少し長生きしてほしいところですが、五代は史実上の人物なので
こればかりはいかんともし難いところですね。
ドラマでも随所に描かれてきましたが、五代は高い理想のもと明治維新で疲弊した
大阪の経済を立て直した偉大な人物です。
しかも五代の大阪や国に対する思いは最後まで衰えず、
死の間際まで国や大阪のために尽くします。
その壮絶と言えるほどの死に様をご紹介します。
コンテンツ
死の間際まで国や大阪に尽くした五代友厚の壮絶な死に様
スポンサードリンク
まず五代友厚は糖尿病に冒されてしまいます。
ご存知の通り糖尿病(2型の場合)はすぐに死には結びつかないものの、
様々な合併症を引き起こし死さえももたらし、
「癌よりも恐ろしい」とされる病気です。
そして五代の糖尿病はかなり進行していたようで、
最晩年には視力がかなり衰えます。
これは糖尿病性網膜症といわれる糖尿病の三大合併症で、
現在でもかなり危険な状態です。
ましてや人工透析などの治療法も確立されていなかった時代ですから、
ほぼ助からないといっても過言ではないでしょう。
五代はそんな状況にありながらも、死の前年の明治17年(1884年)には
大阪商船(現商船三井)を開業させたばかりか、大阪堺鉄道(現南海鉄道)を
設立しています。
どちらの企業も現在まで脈々と続いていますし、五代は弱った体に
かなりムチを打ったことも想像できます。
そして五代の最後の大仕事は日本郵船会社の斡旋です。
スポンサードリンク
明治初期の日本の海運業は外国の海運会社に独占されてしまっていましたが、
後に岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社が台頭して、外国企業を排除します。
ところが三菱が海運業を独占するに至ったので、反三菱勢力の渋沢栄一や井上馨、
榎本武揚らが三井家と共同運輸会社を立ち上げます。
これにより海運業の三菱の寡占は崩れましたが、両社はし烈なダンピング競争
を展開して体力を消耗します。
しかもこれが長く続いて共倒れになってしまえば、再び日本の海運業は
外国企業に牛耳られることになりかねません。
それを見かねた政府は両社の合併を画策しますが、
それに一役買ったのが五代です。
ただし両社はあくまでもライバル企業どうしですし、
そもそも三菱と三井も水と油の関係の財閥です。
かなりの難しい交渉があったでしょうが、五代は他の仲介者とともに
明治18年(1885年)の9月に両社の合併と日本郵船会社の誕生を成功させます。
しかしそれを見届けてホッとしたのか、同月の26日に東京の築地の別荘で
五代は帰らぬ人となってしまいます。
この頃は体調不良により療養を繰り返した五代ですが、死のギリギリまで
国益のために日本郵船の設立斡旋に精魂を傾けていたのです。
まさにこの日本郵船の設立は、五代の命がけの最後の大仕事ですね。
周知のとおり死後に借金しか残らなかった五代友厚。
その実力と人脈からすれば、三井家や三菱家と肩を並べるほどの財閥を
形成することさえ可能かと思われましたが、決してこれをしませんでした。
五代はあくまでも大阪のため、そして国のためにその人生を捧げたのでした。
盟友だった大久保利通ほどその名は通っていませんが、
五代友厚も日本や大阪にとっては恩人とも言えるべき偉人
のひとりです。
大阪や郷里の鹿児島には五代の銅像がありますが、個人的には全国に
五代の銅像はもっとあってもいいとも思っています♪
ドラマではディーン・フジオカさん演じる五代ですが、
その晩年はどのように描かれるのでしょうか? 期待しています!
スポンサードリンク
最近のコメント