あさが来た|千代の夫や旦那は誰?亀子の夫広岡恵三は凄い人だった!
朝ドラ『あさが来た』もドラマの後半戦へと入りました。
これからはけっこうなテンポで物語も流れるようですし、
新キャストも続々と登場します。
ところで後半に登場するキャストの中でも、個人的にもっとも気になるひとりが、
あさの娘・千代の夫や旦那になる人物です。
現時点ではキャストはもちろんのこと、その名前すら発表されていませんが
なかなか気になります♪
と言いますのも、千代のリアルのモデルとなった広岡亀子の夫は広岡恵三。
この恵三という人物は頭脳明晰なキレ者で、広岡浅子や信五郎の遺志を
しっかりと引き継ぎ、広岡家の事業を拡大させた凄い人だったからです。
今回はこの広岡恵三をご紹介します。
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千代の夫や旦那は誰?亀子の夫広岡恵三は凄い人だった!
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広岡恵三は一柳末徳の次男として生まれましたが、この父の末徳は
播磨小野藩の最後の当主です。
その後、子爵となり貴族院議員を4期務めています。
恵三は明治9年(1876年)生まれで、東京帝国大学(現在の東京大学)の
政治学科を卒業したエリート。
広岡浅子には早い段階から目をかけられていて、恵三は帝大在学時に
亀子との縁談がまとまります。
明治35年(1902年)に恵三は亀子と結婚。ちなみに亀子も明治9年生まれなので、
ふたりは同い年ということになります。
恵三は亀子との結婚を機に広岡家の婿養子となり、苗字も一柳から広岡に変ります。
恵三の結婚前の仕事については調査中ですが、亀子と結婚してすぐに広岡家の経営に
参加したわけではないようです。
※追記
恵三は大学卒業後、三井銀行に勤務して銀行経営を学んでいました
恵三に転機が訪れたのは明治37年(1904年)。
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この年に広岡信五郎が亡くなり、浅子も実業界から身を引くことになります。
そのため跡継ぎとして恵三は加島銀行に入社しますが、その5年後の
明治43年(1909年)には加島銀行の二代目の頭取と大同生命の
二代目の社長に就任することになります。
当時の加島銀行と大同生命は広岡家にとって、二大収入源といった感じでしたので、
このふたつの会社を35歳の恵三にかじ取りを任せたというのも
いかに恵三が優秀だったことの表れですよね♪
特に大同生命ではその辣腕を発揮して、「代理店募集制度」のアイデアなどで
営業販路を拡大していきます。
その後、大正8年(1919年)に大同生命の保有契約高は1億円を突破して、
一大企業となっていきます。
大同生命の誕生には浅子はもちろんのこと、浅子の片腕だった中川小十郎らの
尽力がありましたが、現在のような大企業で知られる保険会社に育てたのは、
この恵三の経営手腕によるところが大きかったですね~
また昭和恐慌が発生した時には、加島銀行は廃業してしまいましたが、
恵三は私財を売り払って大同生命の存続に尽力しました。
広岡恵三は昭和17年(1942年)まで長きにわたって大同生命の社長を務めましたが、
多くの企業が倒産に追い込まれた昭和恐慌などを乗り切ったのも、
恵三の尽力によるものが大きかったのですね~
その後恵三は昭和28年(1953年)に77歳で亡くなりますが、
息子の喜一も大同生命の取締役に就任しています。
浅子の死後の大同生命や加島銀行についてはドラマでは描かれないと思われますが、
激動の昭和初期を広岡家がまたもや乗り越えることができたのは
恵三のお陰と言っても過言ではないはず。
ドラマのキャストは不明ですが、恵三の功績などを考えると、
サプライズがあったりするかもしれませんね♪
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