あさが来た|ドラマでは描かれない今井忠嗣の功績!結婚や子供は?

 

朝ドラ『あさが来た』では成澤泉が登場し、あさとともに女子大学校の

設立を目指すことになります。

 

この女子大学校の設立もなかなかの困難を伴いましたが、日本初の女子の

高等教育機関として日の出女子大が誕生することになります。

 

そんな日の出女子大ですが、その設立に多大な貢献をしたのがあさの弟の

今井忠嗣(久太郎)です。

 

そして今井忠嗣のモデルとなったのは三井高景です。

 

高景は三井高喜(ドラマの今井忠興)の息子で、小石川三井家の8代目当主。

 

史実では高喜、高景はあさのモデルの広岡浅子の大きな後ろ盾となりましたが、

なぜかドラマではあまり描かれません。

 

今回はそんな今井忠嗣のモデルとなった三井高景をご紹介します。

 

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ドラマでは描かれない今井忠嗣の功績!結婚や子供は?

 

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忠嗣のモデルの三井高景は、浅子よりひとつ年下の甥です。

 

しかし子どもの頃から姉弟のように育てられたことから非常に仲がよく、

浅子も高景のことをしばしば「愛弟」と呼びました。

 

ドラマでも描かれましたが、高景はアメリカに留学して銀行業を学んで

三井銀行に入行した後に、三井家の中核事業のひとつ三井鉱山の社長

就任します。

 

しかし、高景の私生活は決して順調ではありませんでした。

 

明治5年(1872年)にアメリカから帰国後に、同じ三井一族の益という女性と結婚し、

明治8年(1875年)には跡継ぎとなる長男も誕生。

 

ところが長男は生後わずか5カ月で急逝し、明治12年(1879年)には益も26歳の若さで

亡くなります。

 

このあたりはまったくドラマで描かれていませんが、忠嗣のモデルの高景は

最愛の息子と妻を相次いで失っていたのです。

 

失意の高景に浅子は新たな縁談を持ち込みます。

 

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浅子は大阪の豪農の娘・高木寿天子(すてこ)を高景に紹介します。

 

寿天子は高景よりも15歳も年下でしたが、気丈で優しい性格だったらしく

高景も気に入ります。

 

そしてふたりは結婚する運びとなりましたが、その際には寿天子はいったん

浅子の養女となった上で、高景に嫁いでいます。

 

これは三井家と高木家の格の違いを考慮したものと思われますが、

広岡家と三井家の結びつきを一層深くするという狙いもあったようです。

 

高景と寿天子との間には一女三男の子どもが生れますが、

長男の高修が小石川三井家の9代目当主となり、

三井化学工業の会長や三井石油合成の社長などを歴任しています。

 

そして高景は浅子が成瀬仁蔵とともに日本女子大学校の設立を企画した際に、

5万円と目白台の5500坪の土地を提供し、これが同大学校の開学に

大きな貢献をしました。

 

高景とは別に寿天子も1000円の寄付をして、開学後にも桜楓会館や桜楓託児所

などの建設費を寄付しています。

 

さらに高景が亡くなった後も寿天子と浅子との交流は続き、浅子が主催した

夏期講習会にも寿天子は参加して、参加者に料理を教えて喜ばれたそうです。

 

このように女子大学校の設立の際には、高景とその妻の寿天子は大きな貢献をしました。

 

ドラマでは登場機会が少なくて残念な今井忠嗣ですが、恐らく妻とともに

日の出女子大の設立に多大な貢献をすると思われますから注目です!!

 

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