あさが来た|兵隊にとられた養之助の運命!戦争に行って戦死するの?
朝ドラ『あさが来た』では、はつと惣兵衛の次男の養之助に
召集令状がきました。
しかもセツとの祝言の当日に令状がくるというあまりのタイミングの悪さに、
母親のはつは顔色を失っていました。
ドラマでも描かれていたように兵役検査に合格しても、召集されるのは
およそ10人にひとりの割合です。
とすれば養之助の召集はけっこう運が悪いですね~しかも養之助は
和歌山の惣兵衛のミカン農園では中心的な働き手です。
そのため加野銀行で働いている藍之助を和歌山に呼び戻すことで、
何とかミカン農園の経営が成り立つ有様となりました。
山王寺屋の復興を願った菊が志半ばで亡くなってしまうという悲劇に
襲われた眉山家でしたが、養之助の結婚という明るい話題もありました。
ところがその養之助が召集されてしまうのは、眉山家にとっては
青天の霹靂だったことでしょう。
兵隊にとられた養之助の運命はどうなってしまうのでしょうか?
戦争に行って戦死してしまうのでしょうか?
史実からひも解いて考察してみました。
コンテンツ
兵隊にとられた養之助の運命! 戦争に行って戦死するの?
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養之助が戦争に行く可能性は他の記事で触れましたが、非常に大きかったのが
ドラマで養之助が召集されたのが明治30年(1897年)だったことです。
まず当時の日本が関わった大きな戦争は日清戦争(明治27~28年)と
日露戦争(明治37年~38年)です。
ドラマでは日清戦争は既に終結していますので、
問題となりそうな大きな戦争は日露戦争のみです。
(日露戦争の様子を描いた絵)
日露戦争においては日本軍はロシアに勝つには勝ちましたが、
戦死者はロシア軍の25,331人に対し、日本軍は88,429人と
多大な人的な損失が生じました。
そのため養之助の兵役が日露戦争の期間にかかると、
養之助も戦争に行かなければならないでしょうし、
戦死の可能性も出てきます。
しかし養之助が兵役にとられたのが明治30年で確定したので、
養之助は日露戦争には出征しません。
なぜかと言えば、当時の兵役は基本的に3年間だったからです。
太平洋戦争のように泥沼化して人員不足となってしまった頃には
兵役期間などは形骸化してしまいますが、
明治後期ではそこまで人員は不足していなかったので、
兵役期間を経過すれば本人が希望すれば除隊できました。
そのため養之助は明治33年(1900年)中には除隊することができ、
日露戦争には行くことはありません。
いや~これは眉山家にとっては朗報ですね~
養之助が兵役に就くことはわかっていましたが、
明治35年や36年じゃなくてよかったですね~
ただし、まだ安心できません。
というのも、当時の日本軍は明治32年(1899年)の義和団の乱と、
翌年の北清事変に派兵しているからです。
義和団の乱と北清事変は大丈夫なの?
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明治32年(1899年)に中国で義和団の乱が発生し、それに派生した
北清事変も起きています。
日本はその際、イギリスやアメリカ、フランスなどと八カ国同盟を結び、
中国に干渉し、派兵もおこなっています。
しかし、養之助は中国の戦線に派遣されることはないでしょう。
と言いますのは、養之助に届いた召集令状に記載のあった召集先は、
第4師管第7旅管和歌山連隊区歩兵第八連隊で、
これは当時実際に和歌山にあった大日本帝国陸軍の部隊です。
そして義和団の乱などに派兵されたのは、広島にあった第5歩兵師団
(陸軍)と海軍の海軍陸戦隊です。
義和団の乱に陸軍の部隊は派遣されますが、和歌山の養之助の所属する部隊は
派遣されないのです。
この義和団の乱・北清事変は養之助の兵役期間に起こりますのでヒヤリとしますが、
史実をひも解けば養之助が戦争に行かないことがわかります。
なので結論としましては、ドラマが史実を曲げない限り、
養之助は戦争にも行きませんし、戦死することもない
と考えます。
朝ドラでは戦争はつきもので、これまでの朝ドラでも主要登場人物が
戦死することも少なくありませんでした。
ですが、今回のドラマの養之助は大丈夫で、
無事に和歌山に戻ってくることでしょう!!
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