あさが来た|湯浅崇演じる絹田のモデルは麻生正蔵!凄まじい貢献とは?
朝ドラ『あさが来た』では、あさや成澤泉が設立に奔走する
日の出女子大学校が発起人集会を開催するまでになりました。
ここまで大隈重信・綾子夫妻や伊藤博文、渋沢栄一などの
政財界の大物の協力を取り付けました。
しかしその反面で、女性が賢くなることを危惧する声もあり、
まだまだ風当たりは強そうですね。
そのためあさや成澤はさらなる奮闘をすることになりそうですが、
頼りになりそうなのが湯浅崇さん演じる絹田です。
絹田を演じる湯浅崇さんは劇団「テノヒラサイズ」に所属する役者さんで、
主に舞台で活躍しています。
NHKの朝ドラは、「カーネーション」に続いて2度目の出演です。
そんな湯浅さんが演じる絹田ですが、そのモデルは麻生正蔵です。
この麻生が日本女子大学校の設立に際し果たした役割は大きく、
麻生がいなければ同大学校は開校にこぎつけることも難しかったと
思います。
今回は麻生正蔵がおこなった凄まじいほどの貢献をご紹介します。
(麻生正蔵)
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湯浅崇演じる絹田のモデルは麻生正蔵!凄まじい貢献とは?
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麻生正蔵(1864年~1949年)は同志社大学で教鞭をとっていましたが、
成澤泉のモデルの成瀬仁蔵の女子大学校の構想にかなり早い段階から賛同し、
協力を申し出ます。
成瀬はドラマの書籍「女子教育に就いて」のモデルとなった
「女子教育」を刊行していますが、その出版にも麻生は協力しています。
成瀬はご存知の通り、資金も人脈もなかったことから、
地道に講演活動をおこない賛同者を増やしていきました。
その成瀬とともに講演活動をおこなったのが麻生です。
とにかく女子の高等教育には世間の関心が薄かった時代です。
そのため連日のように各地で講演活動をして、賛同者を増やす
必要がありました。
その影響で麻生も大学で教鞭をとることがままならなくなり、
ほどなくして教職を辞して、講演活動に専念することになります。
このあたりはドラマでも絹田が職を辞めて、
女子大学校の活動に専念したことが描かれていましたね。
しかも麻生は職を辞してから、なんと3年半もの期間を無給で
女子大学校のためだけに活動したといいますから驚きです。
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そのため金欠となった麻生はボロ着をまとってガタガタの自転車で訪問先を回り、
宿は知人の家に泊まらせてもらうなどして活動していました。
当時の麻生は結婚をしており妻も子どももいましたが、
無収入の状態なので養うことができずに実家に預けています。
これだけ見ても、いかに麻生の貢献は凄まじかったことがわかりますよね?
無職になってまで成瀬の活動を支えたのですから、
その覚悟も相当のものでしたし、女子の教育に対する情熱は成瀬にも負けません。
ドラマでも成澤と絹田が自転車に乗るシーンが描かれましたが、
このような麻生の活動に着想を得たようですね。
今回のポイント
このような執念とも言える麻生の貢献もあって、日本女子大学校は
明治34年(1901年)に開校しますが、麻生の協力がなければ
もっと開学は遅れていたでしょう。
そして麻生は開校した日本女子大学校の運営にも参画し、
後に2代目の校長にも就任しています。
いや~まさに麻生は広岡浅子とともに、日本女子大学校にとっては
かけがいのない恩人というべき人物ですね♪
同大学校は設立者の成瀬仁蔵については広く知られていますが、
この麻生も縁の下の力持ちといった感じで、多大な貢献をしてきました。
ドラマでは端役に近い扱いの絹田ですが、実はこれだけの貢献をしている
人物がモデルなのです!!
ひとえに女子の高等教育機関の設立と言いましても、麻生や成瀬が流した汗は
計り知れないものですし、その熱意や理想にも感銘してやみません。
ここまでドラマでは五代友厚や大久保利通などの偉人が登場しましたが、
彼らに比べれば地味なれど、この麻生正蔵が成し遂げたことなども偉大ですね!
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