あさが来た|広岡浅子が主宰した御殿場二の岡の勉強会の内容は?

 

朝ドラ『あさが来た』は、いよいよクライマックスに向かって

ドラマも加速しています。

 

そんな中、ドラマの終盤で描かれることになるのが、

あさが女子教育のために主宰する勉強会です。

 

これはあさのモデルの広岡浅子が実際に、御殿場の二の岡にあった別荘で

晩年におこなっていた勉強会(夏期講習会)をモチーフにしています。

 

この勉強会は村岡花子市川房枝など、後に様々な分野で活躍する

女性を輩出したことで知られています。

 

ではその勉強会の内容はどのようなものだったのでしょう?

 

勉強会

(勉強会での1枚。浅子の右隣が村岡花子)

 

コンテンツ

広岡浅子の御殿場二の岡の勉強会の内容は?

 

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広岡浅子が主宰した勉強会は、大正3年(1914年)から大正7年(1918年)まで

毎年夏に御殿場の二の岡にあった広岡家の別荘でおこなわれました。

 

参加者は毎年十数人程度で、別荘に一週間程度泊まり込んで学び合うというもの。

 

参加者を大人数にしなかったのは、浅子が全員との対話を望んだから

と言われています。

 

「勉強会」という名前がついているものの、それほど堅苦しいものではなく、

懇親会のような雰囲気の中でお互いを高め合うものだったようです。

 

講師も浅子のほか、成瀬仁蔵(ドラマの成澤泉)や井上秀(田村宜)、

三井寿天子(今井とわ)、そして宮川経輝小橋三四子などが参加しました。

 

浅子は自身の経験などを元に今後の女子の在り方などを話し、

成瀬は女子教育論について語ったと言われています。

 

秀はアメリカに留学した経験から海外の女性について語り、

寿天子は得意の西洋料理を参加者に教えたといいます。

 

宮川はドラマには登場しませんが、浅子がキリスト教に入信する

きっかけとなった人物です。

 

このように講師はいましたが一方的な講義形式ではなく、

講師が取り上げたテーマについてみなで語り合ったり、

参加者が持ち寄った議題についてみなで考えたりしたようです。

 

特に浅子の経験談については炭鉱や銀行の設立など波乱万丈に富んでいて、

また浅子の語り口も豪快で人を惹き込む魅力があったので、

参加者には大いにウケたといいます。

 

また井上秀の海外留学での経験談も当時としては稀だったので、

参加者の興味を非常に惹いたと言われています。

 

さらには参加者が抱える悩み事などにも、真摯に考えたようです。

 

そのため参加者の安中花子(後の村岡花子)などは、将来を進むべき道を

この勉強会で見出しました。

 

ちなみにドラマの千代にあたる浅子の娘の亀子も、この勉強会には参加しています。

 

亀子はさほど向学心が旺盛でなかったと言われていますから、

もしかしたら「強制参加」だったのかもしれませんね。

 

まとめ

 

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この浅子の勉強会は、浅子の死の前年までおこなわれていました。

 

まさに少数精鋭の優秀な女子を集めて、その意識を高めていくこの勉強会は、

浅子の最後の大きな仕事と言っていいでしょう。

 

周知のとおり炭鉱や銀行、そして生命保険会社で大成功した広岡浅子は、

日本でも有数の女性実業家として知られていましたし、資産家でもありました。

 

実業家を引退してからは、贅を尽くすもよし、別荘でのんびりするのもよし

といった選択肢もあったでしょうが、浅子は晩年を女子教育や女性の地位の

さらなる向上に捧げています。

 

浅子の凄いところは実業家として成功したことは言わずもがなですが、

常にその社会還元を考えていたところだと思います。

 

日本女子大学校の設立にも多大な時間と費用を要しましたし、

この勉強会も最終回には浅子はすでに70歳という高齢でした。

 

言うまでもなくそこには私利私欲などありませんし、新しい女性を育てる一念のみです。

 

ドラマではここまで五代友厚や大久保利通など、私心を捨てて国に尽くした人物

が描かれてきましたが、その意味では広岡浅子がモデルの白岡あさも

彼らには決して負けていませんね!

 

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