あさが来た|広岡浅子の病気やキリスト教への入信は描かれないの?
朝ドラ『あさが来た』では物語も佳境へ差しかかり、クライマックスへ向けて
けっこうなスピードで時が流れていきます。
大きなエピソードのひとつだった淀川生命の誕生もかなり簡潔に扱われていましたし、
さらにはあさが晩年主宰する勉強会の描写もわずかとなる模様です。
確かにあさのモデルの広岡浅子の人生はまさに波乱万丈でしたし、
興味深いエピソードも多数あります。
すべてのエピソードをドラマで紹介するのはムリがあるようですが、
そのあたりはちょっと残念な気もします。
そんな中、浅子の重要なエピソードにも関わらず、ドラマではいっさい
描かれないようなのが、浅子の病気(乳がんや腎臓炎)と
それをきっかけに入信したキリスト教です。
今回はこのあたりをご紹介します。
コンテンツ
広岡浅子の乳がんや腎臓炎、キリスト教への入信は描かれないの?
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史実の広岡浅子は明治42年(1909年)に、重度の乳がん を患って
死の危機に瀕します。
浅子の胸には十数年来のしこりがあったといいますから、
これが乳がんの原因になったようです。
さすがの浅子もこの時は死を覚悟したようですが、娘婿の広岡恵三
(東柳啓介のモデル)が母校の東京帝国大学(現東京大学)のツテを頼って、
帝大附属病院に入院することになります。
当時も今もこの病院は最新の設備を誇っており、腕のいい医者も多かったようで、
浅子は手術の末に生還することができました。
このことをきっかけに浅子は、
「天はなお、何かをすべきだと、自分に命を貸してくれた」
と思うようになります。
そして共に日本女子大学校の設立に奔走した成瀬仁蔵を通じて、
牧師の宮川恒輝と交流することになります。
これをきっかけに浅子はキリスト教に興味を持ちますが、
「祈ることができない」という悩みに直面します。
浅子が祈ることができない理由は、これまでの人生で他人に甘えた経験がなかった
からと後に本人が言っています。
浅子にとっては祈ること=神に甘えることのように思えたのでしょう。
さらにはドラマを見ても、自らの力で様々な局面を切り開いてきた浅子ですから、
他人を頼りとした経験はなかったのですね~
その後、浅子は救世軍の山室軍平との交流を通じて、キリスト教への理解を深め、
祈ることが決して神に甘えることではないことを知ります。
(山室軍平)
神への祈りができるようになった浅子ですが、今度は腎臓炎で
倒れてしまいます。
この際に浅子はさらにキリスト教への信仰を深めて、
明治44年(1911年)に62歳で洗礼を受けることになります。
さらにはこれを機会に浅子は、自分自身のことや社会のことなどすべてを
神の「御旨」(ご意志)と考えるようになります。
またその後の著書などでも、キリスト教の啓もう活動に励んでいます。
まとめ
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このように晩年に自身の病気をきっかけにキリスト教に入信した浅子ですが、
このことはその後の浅子の社会奉仕活動などにも大きく影響したと考えます。
もともと浅子は昔から「社会還元」を考えていたのですが、
実業家を引退した後の人生は、まさに女性の地位向上などに捧げた
と言っても過言ではありません。
特に市川房枝や村岡花子も参加した勉強会などもその象徴ですね。
浅子がここまで力を入れた活動ですが、やはりキリスト教に入信し、
すべて神のご意志と考えるようになったことが大きな後押しをしたように
思えてなりません。
どうやらドラマでは浅子の一連の病気やキリスト教への入信などは
描かれないようですが、史実の広岡浅子にとっては人生の転機となるような
重要なエピソードでした。
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