とと姉ちゃん|竹蔵が死の直前に常子とした約束は事実?大橋鎭子は?
朝ドラ『とと姉ちゃん』では、ヒロインの常子(高畑充希)の父竹蔵
(西島秀俊)が結核で倒れてしまいます。
自宅療養を余儀なくされる竹蔵ですが、その甲斐もなく病状は悪化の一途を
辿ります。
家長制がまかり通っていた昭和初期に、父親との権威を振りかざさずに
娘たちに愛情を注いだ竹蔵は立派な父親ですが、運命は時として残酷なもの
ですね…
そして死を覚悟した竹蔵は、常子と2つの約束をします。
ひとつは常子の独特の発想力を大事にすること、そしてもうひとつは
自分の代わりに家族を守ってほしいということです。
そして常子は竹蔵の死後、約束を果たすために家族の前で
「とと(父親)になる」と宣言します。
ここに「とと姉ちゃん」が誕生するわけですが、
常子のモデルの大橋鎭子はどうだったのでしょうか?
(昭和初期の浜松市)
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竹蔵が死の直前に常子とした約束は事実?大橋鎭子は?
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ドラマの小橋常子のモデルの大橋鎭子も、父の武雄と死の直前に約束をしています。
時は昭和5年(1930年)10月1日。
武雄の容体が急変したということで、大橋家の家族は武雄が入院している
病室に集まります。
そして武雄は自分がこれ以上生きることができないと語った上で、
鎭子にお母さんを助けて、ふたりの妹の面倒を見るように言いました。
鎭子は武雄にわかるように「ハイ、ワカリマシタ」と大きな声で返事をしました。
それを聞いた武雄はやがて口から泡を吹いて、呼吸が止まってしまいます。
これが鎭子の父の武雄の臨終の瞬間となりました。
まさに鎭子と武雄が交わした約束は、武雄の遺言になったのです。
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ドラマの竹蔵と常子が交わす約束のうち、発想力を大事にすることは
ドラマオリジナルのようですが、もうひとつの約束は上記のような事実が
下敷きになっています。
当時はわずか10歳の鎭子でしたが、母を助け、妹を幸せにしなければと
切に思い、父の死に際しても泣かなかったといいます。
10歳ながらしっかりした子だったのですね~父が亡くなった悲しみよりも、
母や妹に対する責任感が鎭子にそうさせたと思います。
その後の鎭子も、困難に直面した時や辛い時などは、
この病室のことを思い出して「しっかりしなければ」と思ったようです。
ドラマでも常子と竹蔵が交わした約束は、まさにタイトルの
「とと姉ちゃん」の由来となります。
ただし、モデルの大橋常子が父親のことを「とと」と呼んだ
記録は今のところないので、この点はフィクションでしょう。
これまで何不自由ない暮らしをしてきた小橋一家ですが、
大黒柱の竹蔵を失ったことで経済的に困窮することになります。
そんな中、父親代わりになると宣言した常子は様々な困難に遭いながらも、
母のため、そしてふたりの妹のために奮闘することでしょう。
よき父親だった竹蔵が亡くなってしまうのは非常に残念ですが、
ここからがドラマの本格的なスタートでしょう!
常子、鞠子、美子の小橋三姉妹や母親の君子の奮闘を期待しましょう♪
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