とと姉ちゃん|大橋鎭子は本当に10歳で喪主を務めた?その理由は?
朝ドラ『とと姉ちゃん』では、ヒロイン常子(内田未来)ら小橋姉妹の
最愛の父親・竹蔵(西島秀俊)が結核で亡くなってしまいました。
竹蔵が早逝してしまうことは番組でも告知していたことですが、
竹蔵は家長制度がまかり通っていた昭和初期にも関わらず、
とてもいい父親だったので亡くなってしまうのはとても残念です。
そしてどうやら竹蔵の葬儀の喪主は妻の君子(木村多江)ではなく、
常子が務めることになるようです。
常子は10歳で小学生ですから、これは驚きですね!
このあたりは常子のモデルの大橋鎭子はどうだったのでしょうか?
(大橋鎭子)
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大橋鎭子は本当に10歳で喪主を務めた? その理由は?
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常子のモデルの大橋鎭子も、父の武雄の葬儀で喪主を務めています。
喪主の務めは主に弔問者からの挨拶を受けることですが、
鎭子は父親の葬儀で立派にこの大役を務めました。
喪主は葬儀の主催者で夫婦の一方が亡くなった場合には、
もう一方の配偶者が務めることが普通です。
本来なら鎭子の母親の久子が喪主を務めるべきところですが、
久子はあえて鎭子を喪主に立てました。
これらの詳細な経緯は不明ですが、個人的には久子は鎭子に責任感や
家長としての自覚を持たせようとしたように思います。
鎭子は様々なところで母親の久子のことを回想していますが、
その多くは「厳しいが優しい母親であった」というもの。
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ドラマでの常子の母親の君子は、ここまで優しさが前面に出ているキャラクターで、
本来の久子はもう少し厳しい母親だったようにも思えます。
なので鎭子に敢えて喪主を務めさせたのは、久子の教育の一面であったようにも
思います。
実際に鎭子もこの時の経験を振り返って、度胸のある人間になれたのは
母親の久子のお陰と言っています。
その意味では武雄の葬儀に鎭子を喪主としたのは、後々の鎭子にとっては
ためになる経験だったようですね♪
「暮らしの手帖」を創刊することになる鎭子ですが、実際に著名人などに
ムリとも思われる原稿の依頼を引き受けてもらったり、たとえ断られても
諦めずに何度も足を運んで粘り勝ちしたりしました。
かなり前向きでけっこうな度胸の持ち主の鎭子ですが、幼少期のこのような体験が
そのベースとなったようですね。
鎭子はポジティブでありながらも、決して人としての優しさや思いやりを
忘れない人物です。
思うに父親を早くに亡くしながらも、そのような女性に育てた母親の久子も
とても立派な人物だったのでしょう。
このような実在の久子の考えや信念なども、ドラマが進むにつれて
君子のキャラクターに反映されていくように思われます。
ドラマは小橋家の三姉妹を中心に描かれますが、
その母親の君子にも注目していきたいと思います。
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