あさが来た|新次郎の美和との浮気や妾の問題!驚くべき当時の風潮!
朝ドラ『あさが来た』では、あさ(波瑠)は加野屋の経営を立て直すべく
商売に没頭する毎日を送ります。
五代才助の招きもあって、大阪の商人たちの寄り合いや会合に出席するあさは、
急速に当時の経済の状況などを学びます。
一方で多忙なあさのしわ寄せは、夫である新次郎(玉木宏)にも及びます。
あさは新次郎の身の回りの世話などが、十分にできなくなってしまいます。
当時の妻の務めは、一にも二にも夫の世話ですので、姑のよの(風吹ジュン)は
あさのそんな姿を苦々しく思ってしまいます。
ところであさが商売に没頭してしまっているので、たびたび浮かび上がるのが
新次郎の浮気や妾の問題です。
新次郎は三味線の師匠・美和(野々すみ花)と浮気しかかりますし、
事もあろうによのは美和を新次郎の妾にしようと画策したり、
女中のふゆ(清原果耶)にも目をつけます。
またまったくのあさの誤解でしたが、新次郎の着物のほつれの縫い目から
あさが新次郎の浮気を疑ったりしました(着物を直したのははつでした)。
現代人のわたしたちの感覚からすれば、よのの行動はまったく理解しがたいものですが、
実は当時としては悪いことではまったくなかったのです。
妾についての当時の驚くべき風潮をご紹介します。
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明治時代の妾についての驚くべき風潮
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妾は今でこそ後ろめたいイメージがありますが、当時は社会的地位の高い人物や
お金持ちなどは当たり前のように妾を囲っていました。
妾が愛人や浮気などと大きく異なる点は、妻も公認であることです。
公認と言っても男尊女卑がまかり通っていた時代ですから、
妻は夫が妾を作ることを反対できなかったと言ったほうが正確でしょう。
『あさが来た』でも登場する明治政府の高官である大久保一蔵(のちの利通)にも
妾はいましたし、後に総理大臣になる伊藤博文や山県有朋も妾を囲っていました。
(木戸孝允の妾・江良加代)
東京や大阪の豪商たちも当たり前のように妾を囲っていましたし、
複数人の妾を持つ強者さえいました。
当時は刑法やその他の法律も妾について条項があり、
その地位も正妻に近いものが認められていました。
また正妻にその家の跡取りとなる男児が生まれない場合にも、
妾を囲って子供を産ませることもよくあることでした。
ドラマの加野屋のあさと新次郎のケースは、この場合に当てはまりますね。
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このケースでは、正妻は妻としてのもっとも大切な役目である
跡取り息子を産んでいないことから、妾に反対することなどできませんでした。
むしろ妾が男児を産んでくれれば正妻もその責務から解放されるので、
妻が夫に妾をとるように勧めたケースも少なくなかったと言います。
それだけ当時としては家系を途絶えさせないことは、
今以上に大切なことだったのです。
またこの場合は妾でなくとも、他の女性に子供を産ませて跡取りとすることも
それほど非常識な行為ではありませんでした。
そのため仮に新次郎と美和が浮気をして子どもができたとしても、
あさは新次郎を責めることはしづらい時代だったのです。
そして通常、妾には月々の手当てや住居の確保がされ、
戸籍上も妾として記載されました。
ドラマでもよのが美和を新次郎の妾に迎える準備をする描写が出てくるでしょうが、
当時としては当たり前のことでした。
こんな風潮の中、ドラマでは新次郎は美和を妾として囲うことをしませんでした
(美和も妾になることは拒みます)
当時としては新次郎の行動は稀なケースと言えますが、
現代のわたしたちからすれば、新次郎はカッコいいですよね~
ただし加野屋の跡取りや世継ぎの問題は解決したわけではありませんので、
引き続きドラマに注目ですね。
いずれにせよ男女平等の世に暮らすわたしたちからすれば妾については、
到底理解できないものですよね。
しかもこのような男尊女卑の風潮が制度的にもなくなるのは、
第二次世界大戦以降まで待たなければなりません。
現代こそ先進国の仲間入りをしている日本ですが、
わずか100年くらい前まではこのような状況だったのです。
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