とと姉ちゃん|小橋君子とモデルの大橋久子の相違点!驚きの史実!
朝ドラ『とと姉ちゃん』では、常子ら三姉妹の母親・君子は
女手ひとつで娘たちを食べさせるために奮闘しています。
当時は女性が仕事に就いてそれなりのお金を稼ぐのは非常に難しかった時代ですし、
既に君子は40代なので苦労しますね~
そして君子のモデルとなったのは、大橋鎭子の母親の大橋久子です。
ドラマでは君子は、久子とは設定やキャラクターも含めて、
だいぶ異なる形で描かれています。
モデルの久子につきましては資料が非常に少なく調べるのに苦労しましたが、
ここでご紹介していきます。
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小橋君子とモデルの大橋久子の相違点!驚きの史実!
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【実はインテリだった!】
ドラマでは小橋君子は女学校を卒業している設定ですが、
モデルの大橋久子は実は大卒のインテリです。
久子は小樽高等女学校(現小樽桜陽高校)から女子美術学校(現女子美術大学)に進学し、
しかも首席で卒業しています。
当時の女性が大学に進学することは非常に稀でしたが、父親の宮原満吉が資産家だった
こともあり、久子は大学まで進学できたようです。
【学生結婚していた!?】
久子は明治33年(1900年)生まれで、大正9年(1920年)に20歳で
長女の鎭子を出産していますから、どうやら夫の武雄とは学生結婚
したようです。
【性格の違いは?】
ドラマでの君子はおっとりとした優しい母親として描かれていますが、
久子は厳しさも備えていたそうです。
このあたりは常子のモデルの大橋鎭子が、後年に母親の厳しさにたびたび感謝
していることから窺えます。
ただし基本的には久子は優しく、社交的で世話好きな性格です。
また久子は困っている人を見過ごせない面があったようで、
訳あり気な人の事情を聞いて自宅に招き、食事や風呂を提供したこともあります。
このあたりの親切心や面倒見のよさは、娘の鎭子にも受け継がれたようですね♪
【教育ママだった】
久子は教育熱心な母親で、鎭子が子どもの頃は「勉強しなさい」が口癖でした。
鎭子に第六高等女学校を勧めたのも久子でした。
鎭子ら三姉妹は、幼い頃は口うるさく感じたようです。
【実はそんなに貧乏じゃなかった?】
ドラマの君子は職探しに苦労して、なんとか森田屋で住み込みで
働くことができるようになりました。
ドラマの君子と同じように、久子も女手ひとつで鎭子、晴子、芳子の
三姉妹を育てていきます。
しかし父の満吉の援助もあって、三姉妹は女学校を卒業することができました。
当時の久子がどのような仕事をしていたかは不明ですが、
この満吉の援助は大きかったようです。
もしかしたら、大橋家の暮らしはドラマよりもよかった気もします。
(決して裕福ということはないでしょうが)
※鎭子の女学校の第一志望が私立の学校だったり、
歯磨き粉作りのために現在の貨幣価値で1000万円ほどの
資金を 準備していることからそれが窺えます
ただし、その後の日本は太平洋戦争へと突入し、国民も物資不足や
食糧不足で困窮することになります。
大橋家もこの時は多くの国民と同じように、かなりの苦労をしたようです。
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【母親との確執や和解はない!】
ドラマの君子は母親である滝子との確執や対立を経て、
最終的には和解するに至ります。
このあたりは他の記事でも書きましたが、
ドラマオリジナルのストーリーです。
久子の母親ですが、これが不思議なくらい不明で、
名前すら明らかになっていません。
恐らく久子を産んだ後に、早い段階で亡くなられたのか、
夫の満吉と離縁したことが推測できます。
ドラマの小橋君子とそのモデルとなった大橋久子の相違点を挙げましたが、
史実としてはかなりの違いがあることがわかりますね♪
ただし、前述もしましたが大橋久子については史実的な資料やエピソードも
少ないことから、滝子との関係に人間ドラマを設定したと考えます。
また当時の大橋家が住んでいたのは現在の品川区の下大井で、
当時は特徴のない街だったようです。
そのため舞台を敢えて深川・木場にした上で、青柳滝子の関係なども
挿入したのでしょうね~
またリアルの大橋久子は生涯三人の娘たちと同居するなど、
良好な関係は続きました。
このあたりは早くして家長である武雄を亡くした大橋一家が、
家族全員で力を合わせて生きてきた証といってもいいでしょうね♪
ドラマの君子の今後にも注目です!!
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