とと姉ちゃん|平塚らいてうの青鞜とは?常子と鞠子に大きな影響!
朝ドラ『とと姉ちゃん』では、女学校の新たな担任となった東堂チヨ(片桐はいり)
との出会いによって、常子は大きな影響を受けることになります。
そしてチヨは尊敬する平塚らいてうが創刊した雑誌「青鞜」を常子に貸しますが、
この雑誌は常子だけではなく、鞠子も大いに感激することになります。
平塚らいてうは前作の朝ドラ「あさが来た」にも登場し、
あさと対立したことは記憶に新しいですね♪
ところでらいてうが創刊したこの「青鞜」という雑誌は、
どのような内容だったのでしょうか?
そして常子や鞠子にどのような影響を与えるのでしょうか?
コンテンツ
平塚らいてうの青鞜とは?常子と鞠子に大きな影響!
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雑誌「青鞜」は平塚らいてうが立ち上げた出版社・青鞜社の機関誌で、
明治44年(1911年)に創刊しました。
青鞜は当時としては画期的だった女性だけの文芸誌で、
創刊号はかの有名な「原始、女性は実に太陽だった」の
平塚らいてうの辞が掲載されていました。
この青鞜はたびたび当時の女性問題を取り上げることで、
女性の地位の向上や解放運動などにも貢献することになります。
当時の理想とされる女性像は「良妻賢母」であり、女性には参政権はもちろんのこと、
政治活動の自由さえ認められていませんでした。
そしてこの青鞜も、平塚らいてうのイメージもあり
(心中未遂事件で世間の激しいバッシングを浴びていた)、
当時はかなり厳しい批判にさらされました。
それでも青鞜は貞操問題や売娼制度などを取り上げて、
社会に問題提起をし続けました。
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しかし度重なる公安からの発禁処分により発売部数は減少し、
大正3年(1914年)にはらいてうが事実婚のパートナーだった奥村博の発病や
育児を理由にして身を引くと、徐々に青鞜も活力を失っていきました。
結局、大正5年(1916年)2月の52号をもって雑誌「青鞜」は廃刊となり、
青鞜社も解散となりました。
雑誌「青鞜」の出版はわずか4年半あまりでしたが、当時としてはタブーでもあった
女性問題を正面から取り上げたことや、その後のらいてうの功績と相まって
後年は非常に高い評価を得ることになります。
ドラマの舞台は昭和11年(1936年)ですから、既に青鞜は廃刊となっており、
青鞜社も解散した後です。
しかし担任の東堂チヨは女学校の最終学年となった常子に、
将来の進路を考えるにあたり、「女性だからといってできない」と
決めつけないために、このらいてうの青鞜を貸したように思えます。
さらには常子は戦後、自らの出版社を立ち上げることになりますから、
らいてうの青鞜はその伏線にもなるのでしょうね♪
また常子が借りてきた青鞜を読んだ鞠子も、大きな影響を受けることになります。
鞠子はらいてうの青鞜を読んで、密かに文学者を志すようになり、
大学への進学を目指すようになります。
このようにらいてうの「青鞜」は、小橋家の常子と鞠子に大きなインパクトを
与えるようですね~
ちなみに常子のモデルの大橋鎭子も「青鞜」を読んだことはあるかもしれませんが、
明確に影響を受けた等は述べていません。
なので、このエピソードはドラマオリジナルの可能性が高いものと思います。
前作ではヒロインの敵のような役回りの平塚らいてうでしたが、
今作は精神的な主柱になりそうなところに、面白さを感じますね~
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