とと姉ちゃん|常子は大学へ行かないの?大橋鎭子は日本女子大に入学!
朝ドラ『とと姉ちゃん』では、ヒロインの常子は女学校の最終学年を迎えます。
当時の女学生たちの卒業後の進路は、ほとんどが就職せずにそのまま結婚したり
花嫁修業をするものです。
しかし「とと」となり家族を守ることを宣言した常子は、家計を助けるために
迷わず就職することになります。
ところで常子のモデルとなっている大橋鎭子は、女学校卒業後にいったん就職しますが、
その後は大学に進学しています。
ドラマの常子は大学へ行かないのでしょうか?
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常子は大学へ行かないの? 大橋鎭子は日本女子大に入学!
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ヒロイン小橋常子のモデルの大橋鎭子は、昭和12年(1937年)に女学校を卒業して
日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行します。
ところがそのわずか3年後に同行を退社して、日本女子大学校の家政科二類に
入学することになります。
このあたりの経緯や理由は本人が述べていないので、明確なところは不明です。
ただし、鎭子は日本興業銀行時代に工藤昭四郎という非常に有能な上司と
出会うことになりますから、もしかしたら大学への進学も工藤の影響かもしれません。
この工藤という人物は同行の大阪支店長などを歴任した後に、
大蔵省の物価部長や東京都民銀行の頭取などを務めて、
従三位勲一等瑞宝章を受章しました。
また「男尊女卑」の思想なども持っておらず、女性も大いに勉強して社会貢献すべき
という進歩的な考えも持っていた人物で、休憩時間などに女子行員に社会情勢や
経済事情を講義していたことでも知られています。
そのため鎭子が工藤の影響で銀行を辞めて、大学に進学した可能性も
多分に考えられますね~
ちなみに鎭子の退職時には100円の退職金が支給されたことから、
このお金が大学への入学資金となったようです。
しかし残念ながら鎭子の大学生活は、わずか半年で幕を閉じることになります。
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鎭子は日本女子大学校入学直後から体調を崩して、
父親の武雄の死因となった結核を疑われます。
そのため岐阜県の祖母(武雄の実母)のところで療養し、
9月からの新学期には再び大学へ通学しました。
ところが体調は一向に良くならず、主治医からも大学を辞めることを
進言されてしまいます。
そのため昭和15年(1940年)の11月に、泣く泣く日本女子大学校を退学するに
至りました。
幸い鎭子の病は結核ではなく、ひと冬の間療養に務めたこともあり
無事に回復することになります。
このような経緯を辿った大橋鎭子の大学進学ですが、
どうやらドラマでは描かれない可能性が高そうです。
ドラマでは常子は最初に就職する会社を辞めた後に、
念願の出版業界入りする流れのようですね~
やはり実話でも鎭子はあまり大学へ通うことがなかったですし、
これといったエピソードもないので割愛されてしまうのでしょう。
ちなみに鎭子が入学した日本女子大学校は、前作の朝ドラのヒロインのモデルの
広岡浅子が成瀬仁蔵とともに設立に尽力した女子大です。
そのため親近感もあったことから、ぜひとも描いてほしかったのですが、
このあたりはやむを得ないところでしょうか?
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