とと姉ちゃん|鞠子の今後はどうなる?モデルの横山晴子との違いは?
朝ドラ『とと姉ちゃん』では、このところ存在感が増しているのが
次女の鞠子です。
鞠子は姉の常子とは対照的に慎重な性格で頭脳も明晰ですから、
小橋家にとっても頼れる存在です。
この鞠子のモデルとなっているのが、大橋鎭子の妹の横山晴子さんです。
晴子さんは戦後に鎭子と花森安治が設立する出版社・衣装研究所に合流しますが、
ドラマではそこまでの経緯が大きく異なって描かれるようです。
そのあたりとドラマの鞠子の今後をご紹介します。
(左から晴子、芳子、鎭子の大橋三姉妹)
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鞠子の今後はどうなる?
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別の記事でも書きましたが、鞠子は女学校卒業後に女子大に進学する
ことになります。
常子が売り出すKT歯磨きは失敗するものの、常子がタイピストとして
就職することができたので、学費の目途がついたからのようです。
鞠子は女子大進学後に早稲田大学の文学研究会に所属して、
作家になるという夢にまい進することになります。
しかしそんな鞠子に戦争が悪影響を及ぼします。
戦局の悪化から、鞠子は女子大卒業後は軍需工場で働くことになります。
昭和18年(1943年)に軍需工場などの深刻な労働力不足を補うために、
学徒動員がはじまりますから、その影響で鞠子も軍需工場で働くことになるようです。
※但し、当時鞠子は既に大学を卒業しているので厳密には「学徒」ではない
さらに太平洋戦争の末期には鞠子は栄養失調になり、体調を崩すことになります。
この頃の日本は深刻な食糧不足に苛まれたことは周知のとおりで、
このあたりは野坂昭如さんの「火垂るの墓」などにも描かれているところです。
日本の制空権を奪った米軍は、さらに日本を追い詰めるために
「飢餓作戦」を展開します。
北海道から農産物を運ぶ青函連絡船を爆撃したり、下関海峡などの
海上の要所に機雷を配置するなどして、食料の本州への輸送を困難にします。
そのため当時の日本は首都圏を中心に深刻な食糧難に陥り、
多くの国民が栄養失調になっていました。
幸い鞠子は大事には至らずに、終戦後常子が立ち上げる出版社に合流することになります。
モデルの横山晴子との違いは?
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鞠子のモデルとなった横山晴子さんは、第六高等女学校を卒業した直後については
不明ですが、どうやら女子大には通っていなかったようです。
当時の仕事も不明ですが、終戦後は丸の内の保険会社に勤務しています。
その後に、大橋鎭子の衣装研究所に合流する流れです。
ただし、その際に晴子さんは会社の運転資金を確保したり、会社の本社となる
物件を探したりと、非常に重要な役割を担っています。
※他にも新事実がわかりましたら追記しておきます
ドラマでは鞠子は平塚らいてうに傾倒する文学少女として描かれていますが、
こちらもドラマオリジナルの設定のようです。
ただし、晴子さんはガキ大将だった姉の鎭子とは異なり、
子供時代は恥ずかしがり屋で控えめな性格だったとのことですから、
このあたりはドラマの設定と似たところがありますね♪
横山晴子さんは大橋鎭子の実妹で、「暮らしの手帖」の創業メンバー
だったにも関わらず、驚くほど資料がありません。
大橋鎭子も自伝などでは両親については触れているものの、
晴子さんや芳子さんといった妹たちにはあまり触れていません。
とは言え、この三姉妹は生涯にわたって同居生活を送るなど
非常に仲のよかったことは推測されます。
ドラマの鞠子も晴子さんと同じように、常子が出版社を立ち上げる際に、
大きな役割を果たしそうですね♪
このあたりの鞠子の活躍も楽しみです!!
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