とと姉ちゃん|常子のお節介や出しゃばりは嫌い?大橋鎭子も同じだった!
朝ドラ『とと姉ちゃん』では、常子と美子の姉妹喧嘩が勃発して、
小橋家に微妙な空気が漂います。
また常子の勤務先の鳥巣商事では、社員の奥寺の妻(青木さやか)が
浄書室に乱入し、不倫相手の諸橋道子に掴みかかりました。
ドラマは何やら騒々しくなってきましたが、このところ目立つのが
常子のお節介です。
美子との件は常子が家訓にこだわり過ぎる点やそもそも美子に介入し過ぎが
原因のように思えますし、道子の件でも一番下っ端の社員にも関わらず、
課長に直談判しようとしていました。
ともすれば出しゃばりで嫌われそうな常子のお節介ですが、
実はモデルとなっている大橋鎭子もかなりのお節介でした。
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常子のお節介や出しゃばりは嫌い? 大橋鎭子も同じだった!
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常子のモデルの大橋鎭子も、かなりのお節介で知られていました。
とにかく介入したがる性格だったようで、時として暮らしの手帖の社員たちも
困ったかもしれません。
ただし、その根底にあったのは親切心です。
とにかく鎭子は、困っている人を見たら放っておけないタイプの女性でした。
そのために「美談」とも呼べるエピソードもあります。
たとえば昭和19年(1944年)に、当時の勤務先の日本読書新聞で、
アルバイトの朝鮮人の青年が帰国することになりました。
当時は太平洋戦争末期で食料時代も著しく悪化していた時代ですから、
その青年も旅の間食べるものがありません。
それを知った鎭子は母親の久子に相談し、なんとおにぎり5、6個と
焼きおにぎり10個をなけなしのお米で作って青年に渡しました。
大橋家は亡き父の武雄の親戚が岐阜で農家を営んでいたことから、
お米を入手しやすかったのですが、食糧事情が著しく悪いこの時代に
なかなかできることではないですね♪
ちなみにその青年はかなり感激したらしく、翌年に鎭子宛てに
朝鮮からタラコが届きました。
また終戦後の昭和22年(1943年)に食料管理法を守り、配給品だけで生活して
闇の商品に手を出さなかった山口良忠裁判官が栄養失調で亡くなりました。
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それを知った鎭子は居てもたってもいられなくなり、自宅で飼っていたニワトリが
産んだ卵を裁判所に持参しました。
結局最高裁の長官と面接して、その卵は病気療養中の若い判事のもとに
届けられることになりました。
卵ごときで最高裁の長官と面接することになるのは驚きですが、
当時は終戦後のハイパーインフレ状態です。
米一俵は1500円前後(現在の価格でおよそ5万円)、卵一個も15円(同500円)
したと言われる時代です。
そんな高価な卵を24個も裁判所に届けてしまう鎭子の親切心は素晴らしいですね~
また鎭子のお節介はどうも母親の久子譲りのようで、久子も街で困っている
見知らぬ人を自宅に招き入れ、食事や風呂を提供したエピソードがあります。
このように史実の大橋家は、とても暖かい人たちでした♪
また鎭子は出版社立ち上げ後に、かなり多くの著名人たちに愛されたのですが、
その理由もわかる気がしますね♪
ドラマの常子もかなりお節介で出しゃばりのような性格ですが、
これらは大橋鎭子の人となりがベースにあるようです。
そんな常子を嫌いという人もいるかもしれませんが、うまく作り込めば
鎭子のようないい話につながるかもしれませんね♪
このあたりは期待しましょう!
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