あさが来た|あさはいつ新次郎の子どもを産むの?側室の問題は?
朝ドラ『あさが来た』では、あさの姉はつが加野屋で元気な男の子を生みました。
肝心の惣兵衛は未だに行方不明ですが、栄達をはじめとする山王寺屋の人びとも
家を継ぐ長男が生まれて大喜びですね♪
はつの出産はおめでたいことですが、結果として未だに新次郎の子どもを授からない
あさは肩身が狭くなってしまいます。
しかもあさはこのところ商売にのめり込んでおり、乗り出そうとしている炭鉱事業も、
いい炭鉱が見つかりました。
ただでさえ両替商は時代遅れの商売になってしまっています。
このままでは加野屋の運命も風前の灯ですので、
あさが何とかしようとするところは立派です。
しかし当時の妻の役目は一にも二にも、跡継ぎとなる男児を産むことです。
商売と子供や新次郎の世話などで板挟みになってしまっているあさは、
遂に新次郎に お妾さん(側室)を囲うことを提案します。
いや~最近のあさはちょっと可哀相ですね~加野屋のためにと商売に励めば励むほど、
新次郎の世話が疎かになってしまいますから…
ところであさはその後、新次郎の子どもを産むことになりますが、
それはいつなのでしょうか?
新次郎の側室の問題はどうなっているのでしょうか?
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あさが新次郎の子どもを産むのはいつなの?
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はつが長男の藍之助を産んだのが明治4年(1871年)の頃ですが、
あさが新次郎の子どもを産むのはその5年後の明治9年(1876年)になります。
(若いころの広岡浅子)
わずか5年後ですが、さすがに激動の明治だけあって、
あさや加野屋を巡る状況は大いに変わっています。
この頃、加野屋はあさの頑張りもあって、既に炭鉱経営を軌道に乗せていました。
あさは加野屋と九州の蔵野炭鉱を行ったり来たりする生活をしており、
今以上に多忙を極めています。
また大阪でも急速に近代化が進み、加野屋の新次郎や弟の栄三郎、
大番頭の雁助もこの頃、髷を落として散切り頭になっています。
そんな中、あさは新次郎の子どもを産むのですが、
子どもは女の子で正吉が千代と名付けます。
あさがようやく新次郎の子どもを産んだことで加野屋の面々も大喜びします。
しかし、あさが産んだのは女の子ですから、跡取り息子ではありません。
そのため、新次郎の側室問題は解決されません。
新次郎の側室問題はどうなるの?
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このあたりのストーリーの進行は未だに発表されていないので、現時点では不明です。
ただし、この頃の状況を整理すると、
新次郎が側室を囲ってもおかしくないような状況。
あさが産んだのは女の子で跡取り息子でないことは言わずもがなですが、
あさの出産も難産でした。
あさの母・梨絵も難産でしたが、あさも妊娠中は重いつわり悩まされて、
体調不良も著しかったのです。
この状況で新次郎の第二子をもうけるのでしょうか…
また悪いことに、あさが千代の出産直後に、九州の蔵野炭鉱で
落盤事故が発生してしまいます。
この頃は加野屋の収益の多くは炭鉱に依存していることから、
出産直後のあさも早々に事態収拾のため九州に向かうことになります。
なので、相も変らずあさは新次郎の面倒を見ることはできていません。
新次郎はあさに妾や側室をとらないと言い、あさは感動しますが、
その後はどうなるのでしょうか?
あさにとっては不利な材料ばかりなので、気になります。
このあたりはドラマの進行に注目ですね♪
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