とと姉ちゃん|大橋鎭子の暮しの手帖は廃刊・倒産しそうになっていた!

 

朝ドラ『とと姉ちゃん』では、花山伊佐次を編集長に迎え入れることができた

常子らの雑誌はいきなり売れることになります。

 

そして花山の助言もあって、総合生活雑誌「あなたの暮し」

刊行されることになり、常子や花山の活躍も描かれます。

 

周知のとおり「あなたの暮し」のモデルは、大橋鎭子の「暮しの手帖」です。

 

「暮しの手帖」は1948年(昭和23年)に創刊号が発売されたロングセラー雑誌で、

良質な記事でも知られ菊池寛賞なども受賞しています。

 

しかし実は発売当初は販売部数も伸び悩み、廃刊そして出版社の倒産の危機に

瀕したこともありました。

 

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大橋鎭子の暮しの手帖は廃刊・倒産しそうになっていた!

 

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大橋鎭子が「暮しの手帖」を創刊した大きな理由は、それまで発売していた

「スタイルブック」(「スタアの装ひ」のモデル)が売れなくなったからです。

 

「スタイルブック」は昭和21年(1946年)の創刊号こそ新聞広告の戦略が当たって

大きな売上を出しましたが、その後は同種の雑誌の乱発もあって、

売上も尻つぼみになってしまいます。

 

その宣伝も兼ねて鎭子や花森安治は全国で服飾デザインの講座を開催し、

主に直線裁ちでの洋服の作り方などを教えますが、さほど大きな効果は

ありませんでした。

 

結局「スタイルブック」は昭和22年(1947年)10月までに計6冊を発売しますが、

創刊号の勢いを取り戻すことはできませんでした。

 

そのため昭和23年(1948年)の初春に「スタイルブック」で提案した「衣」に、

「食」や「住」を加えた総合生活誌を企画し、発売することになりました。

 

これが「暮しの手帖」の創刊号で、「スタイルブック」で好評だった

直線裁ちの洋服作り方や川端康成に執筆してもらうなど盤石の内容でした。

 

ところが同誌の創刊号はさほど売れませんでした。

 

1万部を刷りましたが、取次店が引き取ったのは7000部で

残りの3000部は売れ残り、鎭子ら社員たちが自分の足で書店を回って

置いてもらうなど苦労の連続。

 

同誌の2号、3号も売り上げはパッとしなかったことから、

「スタイルブック」の創刊号で貯まった資金はおろか、

会社の運転資金にさえ困る始末。

 

このままでは第4号の発売も雲行きが怪しい状態でしたが、

これを救ったのが鎭子の人脈でした。

 

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彼女は女学校卒業に就職した日本興業銀行時代の元同僚に相談して、

同行に融資を求めました。

 

すると審査が通り、興銀から20万円(現在の2000万円程度)の融資を

受けることになったのです。

 

しかしこれには裏話があり、興銀の重役たちはわずか3年間の勤務経験があるだけの

鎭子に融資することは反対でした。

 

ところが3人の元同僚たちは、自分たちの退職金を抵当にするから

彼女にお金を貸してほしいと懇願し、そのために重役たちも折れたのでした。

 

このあたりはまさに大橋鎭子の人柄のよさを表すエピソードですね~

わずか3年の勤務ながら3人もの同僚がそこまで申し出ることは、

よほど彼らの心を掴んでいたのでしょう。

 

こうして第4号が発売できることになった「暮しの手帖」ですが、

売上を伸ばすにはかなりの目玉企画が必要でしたから、

花森たちも苦労します。

 

しかし第5号に掲載した元皇族の東久邇宮成子さんの執筆した記事が

大きな反響を呼んで、同誌は息を吹き返すことになります。

 

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(大きな反響があった第5号)

 

このように「暮しの手帖」は廃刊・倒産の危機に瀕しましたが、

奇跡的にそれを回避しました。

 

鎭子の興銀時代の同僚のエピソードもかなりいい話ですが、

ドラマでは常子はそもそも銀行勤務をしていないことから描かれるかは

微妙ですね~

 

もしかしたらタイピスト時代の同僚の早乙女朱美がそのような役割を果たすかも?

などと勝手に想像してみましたがどうなるのでしょうか?

 

いずれにしても小橋常子の「あなたの暮し」も、山あり谷ありの

目が離せない展開になりそうですね♪

 

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