とと姉ちゃん|暮しの手帖の直線裁ちが凄かった!その後はどうなる?
朝ドラ『とと姉ちゃん』では、花山伊佐次が提案した直線裁ちによって
ワンピースを作る記事が目玉企画となり、「あなたの暮し」の創刊号は
大いに売れます。
これは実際に大橋鎭子と花森安治が「スタイルブック」の創刊号に掲載した
目玉企画で、これにより同誌は大きな反響がありました。
ドラマでも描かれているように、当時は高嶺の花だった洋服が「直線裁ち」によって
誰でも簡単に作ることができたので庶民の暮しの向上に大いに貢献したことは
言うまでもありません。
「スタイルブック」で反響のあった直線裁ちですが「暮しの手帖」となった後も、
度々同誌に取上げられることになります。
しかもその内容は進化しており、凄かったのです!
(創刊号)
コンテンツ
暮しの手帖の直線裁ちが凄かった! その後はどうなる?
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ドラマでは直線裁ちのアイデアは、唐沢寿明さん演じる花山伊佐次が
娘の茜の散髪でアイデアを思いついたようにさらっと描かれていました。
しかし花山のモデルの花森安治は元々服飾に造詣が深く、
東京帝国大学の卒論のテーマも「衣裳の美学的考察」といったもので、
彼の服飾に関する深い知識がなければ出し得なかったアイデアでした。
「スタイルブック」で紹介したのは、ドラマのように直線裁ちでの
ワンピースの制作方法。
しかし「暮しの手帖」で取り上げる直線裁ちは、徐々に進化していきます。
例えば「春の直線裁ち」と言ったように春夏秋冬に合わせた洋服を作るものだったり、
「直線裁ちユカタ・ドレス」と称して、パーティードレスや部屋着の作り方もありました。
また「キルティングと直線裁ち」では、高価なウールの代わりにスフ(化学繊維)を
キルティングして、ウールのような外套を紹介したこともあります。
他にも「コドモの直線裁ち」「毛糸をあしらった冬の直線裁ち」などもありました。
「流行物は徹底的にやれ」はどこの業界でも同じですが、当時の「暮しの手帖」は
徹底的に直線裁ちを紹介しており、まさに「直線裁ち祭り」状態でした。
いや~このあたりは編集長の花森の判断ですが、この徹底ぶりは凄いですね~
しかし、そんな同誌の目玉企画も時代の流れとともに変化していきます。
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昭和23年(1948年)の創刊号の時は、世の中の物資不足は深刻化しており、
反物や着物から洋服を作る手法を紹介していました。
しかし復興が進み庶民の暮しも徐々に豊かになってくると、
「直線裁ち」の内容も変化していきます。
大きなターニングポイントとなったのは、昭和27年(1952年)ごろで、
この頃から洋服生地を使ったものに変化しています。
終戦直後は入手困難だった洋服生地も、その頃には既に高嶺の花ではなくなっており、
反物や着物で代用する時代は終わったと判断したのでしょう。
その後は洋服生地やスフを素材にするものが多くなっていきますが、
高度経済成長期に入りはじめる昭和30年(1955年)には、
名物企画だった直線裁ちも姿を消すことになります。
復興がさらに進んで庶民の生活も豊かになり、この頃には洋服は
自分たちで作るものではなく、買うものとなっていったからです。
そのため同誌も洋服の作り方などの特集は組まなくなり、
代わってアイロンのかけ方やドライクリーニングの知識などの特集に
シフトしていきます。
庶民の生活の向上を目的とする同誌は、庶民の暮しの変化とともに
このような変遷をたどったのですね~♪
ドラマでも高度成長期編となると、国民の暮らしぶりも大きく変化していきますから、
このあたりには注目ですね♪
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