とと姉ちゃん|あなたの暮しの料理記事はどうなる?暮しの手帖が凄い!

 

朝ドラ『とと姉ちゃん』では、第6号の目玉企画に

ホットケーキの作り方を掲載し、いよいよ「食」の分野に

チャレンジします。

 

女性に役に立つことを目的とし、これまで衣服や住居に焦点をあててきた

同誌ですから、料理を取り上げることでまさに衣食住すべてを網羅

することになりますね♪

 

ところで同誌のモデルとなっている「暮しの手帖」も現在に至るまで、

様々な料理の記事や特集を組んできました。

 

しかしこれら料理の記事や特集は、創刊直後から同種の他誌とは

明らかに一線を画した凄いものだったのです!

 

コンテンツ

あなたの暮しの料理記事はどうなる?  暮しの手帖が凄い!

 

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「暮しの手帖」がはじめて料理に関する記事を掲載したのは、

昭和25年(1950年)の第7号「誰にでも必ず出来る ホットケーキ」でした。

 

ドラマでもエピソードは取り上げられますが、ひとつひとつの工程に

写真を用いてわかりやすく解説しました(プロセスカットと呼ばれる手法です)。

 

現代では当たり前の手法ですが、当時としては非常に斬新で、

わかりやすかったことから反響も多く、これ以降同誌は

食べ物の記事や特集を次々と企画していきました。

 

しかも同誌の料理記事には特徴があって、それは一流店や有名店の

プロのシェフや板前に監修を求めることです。

 

今ではこれも当たり前のやり方ですが、当時の婦人誌の料理記事は

ほとんどと言っていいほど料理学校の先生が監修をしていました。

 

そのためどの記事も似たり寄ったりの内容になってしまい、

さほど特色のないものでした。

 

そこで編集長の花森安治は、多くの人びとに支持されている

一流店の料理人に家庭向けの料理を考案してもらうという

斬新な企画を発案します。

 

しかもそのスタンスは読者に大いにウケることになりました。

 

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第33号(昭和31年)からはじまった「おそうざい十二カ月」は、

大阪の懐石の名人と呼ばれた小島信平によるものでした。

 

これは大きな反響があり、連載も昭和44年の第99号まで13年間も続き、

掲載されたレシピを厳選した単行本まで発売されました。

 

また「おそうざい十二か月間」の西洋料理や中華料理バージョンも別冊の

「おそうざいふう外国料理」として発売され、帝国ホテルのシェフ

村上信夫らが監修しました。

 

おそうざいふう

 

さらには第52号(昭和34年)からはじまった連載の

「ロイヤルホテルの家庭料理」は、その名の通り老舗ホテルの

ロイヤルホテルのシェフたちが腕を振るったもので、

40年以上も続いた人気企画となりました。

 

上記以外にも当時西洋料理の第一人者として知られた常原久彌

人気中華料理店王府のオーナーシェフの戰美樸なども登場しました。

 

このように当代の一流シェフが作る家庭料理の記事や特集は

大きな反響があった一方で、その実現には大変な苦労がありました。

 

当時は料理人はメディアに出ることはほとんどなかったことから、

当然のように断られ、たとえば前記の小島信平から承諾してもらうまでは、

社主の大橋鎭子は何度もお店に通って説得を重ねたようです。

 

現在では当たり前のように目にできる有名店のシェフによる記事ですが、

その走りとなったのが「暮しの手帖」の記事だったのです!

 

まさに花森安治の料理記事への意気込みや体当たりで説得にあたった

大橋鎭子の地道な努力を感じさせられるようですね~

 

このような実話をベースとするだろう「あなたの暮し」の記事は

どうなるのでしょうか?

 

楽しみですね!

 

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