とと姉ちゃん|星野は常子と別れた後は何をやってた?戦争や仕事は?
朝ドラ『とと姉ちゃん』では、星野武蔵(坂口健太郎)が
衝撃の再登場をして常子との再会を果たすことになります。
他の記事でも紹介しましたが、彼は既に結婚しており
(妻は亡くなっています)、子どもも2人もいます。
ふたりが再会を果たすのは昭和30年(1955年)のことで、
大阪の大学の研究室への就職のために別れたのが昭和15年(1940年)でしたから、
既に15年もの月日が経っていることになります。
ドラマでは星野のその後は一切描かれず音信不通の状態で、
その間何をやっていたのかも不明でした。
そんな「空白の15年」が、徐々に明らかになってきました。
コンテンツ
星野は常子と別れた後は何をやっていた? 戦争や仕事は?
スポンサードリンク
まず星野は昭和15年に常子と別れた際に、東京帝国大学を卒業したはずです。
旧制大学は一般的に23歳で卒業(ただし、飛び級制もあった)なので、
再会時には彼は既に38歳くらいになっています。
そんな星野について明らかになっている点は以下です
① 戦争に行って戦地で相当な苦労をした
② 復員後に亡き妻(加奈子)と出会い結婚した
③ 長男は大樹(8歳)、長女は青葉(5歳)
④ 現在の仕事は医療品や洗剤を扱う会社に勤務
⑤ 首都圏の郊外の新興住宅地に住んでいる
やはり星野は戦争に行っており、かなりの苦労をしたようです。
恐らくその体験などが、常子に連絡できなかった理由になりそうです。
場合によってはシベリア拘留などされた可能性も検討しましたが、
長男が既に8歳であることから、少なくとも昭和22年(1947年)には
帰国しており、その可能性は低いでしょう。
※ただし長男が妻の連れ子だった場合にはこの限りではありません
いずれにせよ戦争が終わり比較的早期に帰国できたにも関わらず、
ふたりが音信不通になったのはこの戦争体験が原因のようです。
星野はよほどひどい目に遭った可能性がありますね。
ところで非常に疑問に感じるのが星野の現在の職業です。
スポンサードリンク
早期に復員できていれば、大学の研究室にも戻れたでしょうし、
それをせずに彼が医療品メーカーに勤務しているのはなぜなのでしょう?
植物学者を目指すために常子と別れて大阪に向かいましたが、
そんな夢を断念した理由は相当なものが必要です。
これも戦争での過酷な体験で説明はつくでしょうが、
このあたりはかなりしっかりした理由も必要です。
また医療品や洗剤を作るメーカーに勤務しているということは、
「あなたの暮し」の商品試験(テスト)に関係するかもしれません。
今後は職業柄、常子に協力、あるいは敵対なんて展開も予想できますね。
いずれにしても星野はモデルがおらずドラマオリジナルのキャラクターですから、
謎の全貌はドラマで明かされるしかないでしょう。
とは言え、星野の戦争体験が物語上、かなり大きなウェイトを占めるようですので、
そのあたりは注目です。
ただし彼に関してはここまででも脚本なども二転三転していることから、
さらなる大幅な修正が施される可能性もあります。
再登場はかなり衝撃的になりそうですが、期待しましょう!
スポンサードリンク
最近のコメント