とと姉ちゃん|ドラマでは描かれない大橋鎭子の数々の素晴らしい話!
朝ドラ『とと姉ちゃん』で高畑充希さん演じる小橋常子のモデルは、
「暮しの手帖」の初代社長の大橋鎭子です。
鎭子は終戦後、一念奮起して出版社を興し、名編集長と謳われた花森安治とともに
雑誌「暮しの手帖」をメジャーな生活総合誌へと育て上げます。
「直線裁ち」や「商品テスト」など良質な企画を数々と提案し、
庶民の生活の向上に大きく貢献しました。
そして鎭子は細かいことには気にせずに猪突猛進しましたが、
その反面人としての優しさに溢れ、思いやりのある人物として
多くの人びとからも愛されました。
そんな鎭子のドラマでは描かれなかった素晴らしい話をご紹介します!!
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ドラマでは描かれなかった大橋鎭子の素晴らしい話!
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(貴重品のおにぎりを全部配ってしまった)
昭和19年(1944年)に食糧難から、鎭子は次女の晴子とともに
亡き父の実家がある岐阜の養老村にお米をもらいに行きます。
そこでそれぞれリュック一杯分のお米と、持てるだけのおにぎりをもらって
帰途につきました。
東京行きの列車の中でおにぎりを食べようとしたところ、
周りの人がみなおにぎりを見ているのに気がつきました。
当時は白米は入手困難な貴重品でしたから、周囲の目も釘づけになって
しまったのでしょう。
しかしそんな中、鎭子は晴子と相談して、持っていたすべてのおにぎりを
周りの人に配ってしまったのです。
思いやり溢れる鎭子ですが、次はいつ食べれるか分からない白米のおにぎりを
全部配ってしまうとは驚きですね♪
言うまでもなく人びとの喜びようはすごく、後に鎭子は戦争の思い出といえば、
この列車でのエピソードを思い出すと語っています。
(帰国する青年におにぎりを渡す)
終戦間際の昭和19年秋に当時勤務していた日本読書新聞のアルバイトの青年が、
故郷の朝鮮に帰国することになりました。
当時は朝鮮に向かうには長旅でしたので、それを聞いた母親の久子は
帰国までの食事としておにぎりを持たせることを提案します。
どうやらこれも岐阜から持ち帰ったお米のようですが、5、6個のおにぎりと
10個の焼きおにぎりを青年に渡しました。
彼の喜びようは想像に難くなく、無事帰国した折にはタラコを送ると約束しました。
実際に翌年の2月に青年から大橋家にタラコが届いています。
このようにまたまた貴重品のおにぎりを惜しげもなく渡してしまっています。
母親の久子の優しさも光るいい話ですね♪
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(大空襲の際に被災者をねぎらう)
昭和20年(1945年)3月の東京大空襲の際には、大井町に住んでいたので
大橋家は被災しませんでした。
しかし会社が気になった鎭子は、当時文京区にあった入居先の文化アパートへと向かいます。
すると深刻な被害を受けた深川などからの被災者が道に溢れていました。
鎭子は彼らを見ていたたまれなくなり、文化アパートの使っていない椅子などを
道に並べて簡易休憩所を作って、水を提供してあげました。
しかもその日だけではなく、3、4日も続けたというから驚きですね。
このように常子のモデルの大橋鎭子は困っている人を見ると、
黙ってはいられない性格で、すぐに行動に移します。
優しさに溢れる彼女は、このような素晴らしい行動を何度もとっています。
しかしなぜかドラマではこのあたりのエピソードは描かれませんでした。
前記の列車の中での逸話や簡易休憩所のエピソードなどは、
決して誰でもできる行動ではありません。
このような珠玉のエピソードをスルーしてしまうとは、
とてももったいない気がしますね~
特にヒロインの常子のキャラクターに関しては、
「感情移入できない」との意見も少なくありません。
非常に魅力的な人物だった大橋鎭子をモデルにしており、
芸達者な高畑充希さんが演じているのに残念ですね~
これらを描かなかった製作側の判断は不明ですが、描かれていれば
ドラマももっと盛り上がったような気もします。
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