べっぴんさん|野上正蔵(名倉潤)のモデルは尾上設蔵!かなり優秀
朝ドラ『べっぴんさん』で、すみれの父の坂東五十八が
経営する繊維会社は坂東営業部です。
そして五十八の右腕として活躍する番頭格が、
名倉潤さん演じる野上正蔵です。
正蔵は五十八にかなりの恩義を感じており、彼が貴族院議員になった後は、
実質的な経営者として坂東営業部を切り盛りすることになります。
また息子の潔も後にゆりと結婚して同社に入社し、戦後には没落した
同社を立て直すことになりますから、この野上親子は坂東営業部にとっては
かなりの重要人物となります。
そんな正蔵のモデルとなったのが、佐々木営業部の取締役を務めていた
尾上設蔵です。
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野上正蔵(名倉潤)のモデルは尾上設蔵!かなり優秀
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尾上設蔵は播州赤穂出身で、銀行家を目指し大阪に出てきましたが、
人の紹介で佐々木営業部に入社します。
数字に強く、かなり勤勉だったことから経営者の佐々木八十八
(五十八のモデル)の信頼も厚く、20代で佐々木営業部の支配人に
出世しています。
彼の経営は革新的で当時は常識的だった大福帳経営を改めて、
さらに緻密な在庫管理手法を導入しています。
昭和6年(1931年)に八十八は彼を得たことで政治活動に専念する
ことを決意し、貴族院議員となります。
そのためそれ以降の佐々木営業部の実質的な経営は、
設蔵が任せられることになります。
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昭和8年(1933年)には設蔵の主導で東京にも佐々木営業部を開設して、
大きな売り上げを建てると、昭和13年(1938年)には大阪と東京の
佐々木営業部を合併します。
それにより株式会社佐々木営業部が誕生しますが、
当時は日本最大のメリヤス会社となっていました。
海外進出なども積極的におこないさらなる飛躍も期待されましたが、
設蔵は昭和15年(1940年)に54歳の若さで亡くなってしまいます。
さらにその後は戦局の悪化とともに佐々木営業部の業績は急速に悪化して、
昭和19年(1944年)に同社は江商(現兼松)に吸収合併されてしまいます。
このように太平洋戦争末期の戦局の悪化とともに同社は急激に失速
していきますが、設蔵を失ったこともかなり影響していたようです。
とは言え、戦後に同社を再興してアパレル大手のレナウンに育て上げたのは、
設蔵の息子の尾上清(野上潔のモデル)ですから、この親子の貢献は
相当のものですね♪
このような人物がモデルとなっている野上正蔵も息子の潔とともに、
かなり重要な役割を担うことでしょう。
特に戦前の坂東営業部の飛躍は彼の主導によりなされるものと思われますので、
その活躍にも期待したいですね♪
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