べっぴんさん|ベビーショップあさやのモデルと驚きの商売の実態!
朝ドラ『べっぴんさん』では、昭和21年(1946年)3月3日にすみれ、
良子、君枝、明美の4人はあさや靴店のスペースの一角に
ベビーショップあさやを開店することになります。
言うまでもなくお店の名前はあさや靴店からとったものです。
明美は看護婦をしていますからお店には不在ですが、
残りの3人は開店初日ということもあり、かなりの意気込みと
なりそうです。
ところが素人ゆえの悲しさか、商品の値段を決めていなかったことから、
顔なじみの客に無料プレゼントしてしまったりとさんざんな船出となりそうです。
このお店のモデルは坂野惇子、田村江津子、田村光子、村井ミヨ子の
4人がはじめたベビーショップ・モトヤがモデルとなっています。
(当時の三宮センター街)
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ベビーショップあさやのモデルと驚きの商売の実態!
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まずベビーショップ・モトヤが開店したのは、昭和23年(1948年)12月
ですからドラマは2年半ほど前倒しの設定です。
このお店があったのは、神戸トアロードの角からセンター街に入った
3軒目のモトヤ靴店の一角です。
間借りしている店内には、ショーケースがわずかに2個あるのみ。
そこに赤ちゃん用の肌着やベビーウェア、刺繍いりのよだれかけ、
子供服やエプロンなどが並べられました。
商品はすべて惇子たちの手作りで、開店前には惇子の家と光子の家で
分担して商品づくりがおこなわれました。
その際には尾上清が調達してきた進駐軍の中古の枕カバーも差し入れされ、
深刻な物資不足の中で貴重な材料生地となりました。
枕カバーはきれいに洗濯して、フランス製の刺繍糸でバラをあしらった
よだれかけを作りました。
他にもイギリス製の生地を使って作った女児用のドレスや同じくイギリス製の
高級毛糸で編んだ赤ちゃん用のレギンスなども仕上がりました。
当時は物資不足で世の中には粗悪品ばかりが流通していましたから、
それらとは明らかに一線を画する製品ばかりが出来上がりました。
なぜそんな時期に彼女たちが高級な生地や糸を使うことができたのかと言えば、
それは戦前に惇子が実家の佐々木家にあった高級な素材を「疎開」させていた
からです。
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彼女は昭和18年(1943年)に空襲を恐れていったん軽井沢の佐々木家の別荘に
疎開したのですが、その際に大切にしていた洋裁道具や良質な毛糸、
外国製の高級生地なども大量に持参しています。
戦後になってからはいくらお金を積んでもそれらの入手は困難となりますから、
まさに彼女は宝の山を持っていたのです。
そんな素材で作った製品ですから、彼女たちの不安をよそに商品は飛ぶように売れ、
初日から4万円の売上を計上しました。
当時の1万円は現在の30~40万円とも言われていますから、
初日の売上は現在の貨幣価値で120万円~160万円もあったことになります。
しかもこの店の商品は「洗っても縮まない」などの評判を得て、
たちまち人気店となります。
その後もクリスマス用のベルにキャンディーを入れてセロファンで包んだ
プレゼント用の商品も売れました。
また惇子の夫の通夫の提案の進駐軍が捨てた缶から作った小さなバケツなどの
アイデア商品がヒットします。
しかしやはり素人がはじめた商売だったので、客の特別注文には応じても
デザイン料や追加料金をとることすら知りませんでした。
靴店の店主の元田蓮(麻田茂男のモデル)や夫たちは言うまでもなく
呆れかえりました。
このように素人商売でしたが、彼女たちは一貫して製品の品質に
こだわり続けたことが後のファミリアの成功を呼び込むことになります。
ただしドラマではベビーショップあさやにはなかなか客が来ないことから、
すみれたちはけっこう苦労する流れとなるようです。
やはりあっさりと大願成就するよりも、ヒロインが困難にぶつかって
それを乗り越えるほうがドラマとしては盛り上がりますしね♪
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