べっぴんさん|すみれと紀夫の結婚が史実と違う!実は恋愛結婚
朝ドラ『べっぴんさん』では、五十八(生瀬勝久)がすみれ(芳根京子)に
見合い相手を勧めてきますが、それはなんと田中紀夫(永山絢斗)でした。
本来なら長女のゆり(蓮佛美沙子)が婿をとる予定でしたが、
潔(高良健吾)と結婚し嫁入りしてしまいました。
そのためすみれの夫となる人物は、婿入りを承諾した人に限られてしまいました。
彼女も坂東家のためなら五十八が選んだ人物であれば誰でもいいと言いますが、
見合いの写真に写っていたのは幼なじみの紀夫でした。
当時は結婚は両家の親主導でおこなわれ、会ったこともない人と
結ばれることも当たり前でしたが、これはラッキーですね♪
ところでふたりのモデルは坂野惇子と坂野通夫ですが実は見合いではなく、
当時としては非常に稀な恋愛結婚で結ばれていました。
コンテンツ
すみれと紀夫の結婚が史実と違う!実は恋愛結婚
スポンサードリンク
惇子は甲南高等女学校時代に、親友だった田村江津子
(多田良子のモデル)を通じて通夫を紹介されています。
当時の彼は甲南中学に通っていましたがその後甲南高校に進学し、
昭和10年(1935年)にグループで甲南高等女学校の生徒たちと
兵庫県の神鍋スキー場に出かけています。
そこにいたのが惇子でふたりはすぐに意気投合し交際に発展しました。
当時惇子は16歳で、通夫は18歳でした。
ふたりの交際を惇子の父親の佐々木八十八が知るところになりますが、
当時としてはかなりリベラルな人物だったので、やめさせることなどは
ありませんでした。
翌年の春に彼女は女学校を卒業し東京に遊学することになり、
彼も後に京都帝国大学に進学することになります。
今でいう遠距離恋愛の形になったふたりでしたがしっかりと愛を育んだようで、
昭和14年(1939年)にふたりは婚約することになります。
スポンサードリンク
女学校時代から4年間も交際しての婚約ですから、
当時の資産階級の令嬢としては非常に珍しいケースです。
その後通夫が大学を卒業して昭和15年(1940年)に大阪商船(現商船三井)に
就職が決まると、その5月にふたりは正式に結婚しました。
ドラマでは紀夫は坂野家の婿養子となって坂東営業部に就職すること
になりますが、リアルでは惇子が坂野家に嫁入りしています。
また通夫も戦後の復員後に佐々木営業部に入社することになりますが、
結婚しても大阪商船を辞めていません。
このようにドラマはリアルと大きく違いますが、このあたりは
坂東家の子どもを姉妹の設定にしてしまったからでしょう。
当時の資産階級の家が姉妹ともども嫁に出すことはあまりなく、
通常はどちらかが婿をとって家を継がせるのが常でしたからです。
リアルの佐々木家は三男三女のきょうだい(そのうち2人は夭折)で、
家督は隆一が継いでいましたので、惇子と智恵子の姉妹はともに
嫁に出されました。
このようにドラマで紀夫が坂東家に婿入りするのは、
当時の時代背景に配慮してリアリティーを持たせた結果とも言えますね♪
スポンサードリンク
最近のコメント