べっぴんさん|ベビー相談室のモデルは?驚きの事実!
朝ドラ『べっぴんさん』では、すみれたちが開いたベビーショップあさやで
ベビー相談室を開設することになりました。
昭和21年(1946年)3月にお店は開店することになりますが、
客足は今ひとつですみれたちは商売の厳しさを知ることになります。
そんなところ常連客が赤ん坊の夜泣きがひどいことをこぼしますが、
そこに居た明美が下着の通気性を指摘して、問題は解決することになりました。
これら一連の経緯から、すみれは子育てをしている母親が気軽に遊びに来たり、
悩みを相談したり、子育て仲間を作ったりする場を提供したいと言い出します。
お店の売上の改善の意味は含まれていますが、ベビーナースの経験もある
明美の知識を活かして、一人でも多くの母親のためになれたらという想いからの
提案でした。
そして開設することになるベビー相談室は、無料でなんでも相談できることや
明美が的確に多くの母親の質問に答えたことから大盛況となります。
すみれたちのお店が好転するきっかけになりそうなこの相談室ですが、
実在のモデルはあったのでしょうか?
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ベビー相談室のモデルは?驚きの事実!
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すみれたちがはじめるベビー相談室のモデルですが、昭和27年(1952年)から
ファミリアがはじめた大ヶ瀬久子の育児相談がモデルとなっています。
ベビーナースだった久子はすみれのモデルの坂野惇子に西洋式の育児法を教え、
その際の知識は起業の際の商品づくりに大きく貢献した恩人です。
現在では子ども用品の販売店が育児相談をすることは珍しくはないのですが、
昭和27年にそれをやっていたというのは驚きですね。
また久子は惇子が生涯「先生」と呼んだ人物ですから、そのギャラも決して
安くはなかったはず。
しかも育児相談だけではなく、ファミリア・ガイドという小冊子を頒布して、
正しい育児法なども紹介しました。
当時はどの業界でも商品を陳列して売るだけの「売りっぱなし」が常でしたから、
このようなことまでおこなった同社は消費者だけではなく、業界内からも
注目されることになりました。
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まさに当時から同社の「赤ちゃんやお母さんによいものを提供する」
という理念が実行されていたということです。
そんなスタンスでしたから同社の製品は起業以来好評で、
後に子供服大手の企業へと成長していくのです。
ドラマでは前記の久子と創業者のひとりの田村光子を混ぜたような
キャラクターの小野明美がやはりこれをおこなうことになるのですね♪
このベビー相談室も、すみれたちのお店にとっては大きな役割を果たしそうです。
開設したきっかけもすぐに売り上げにはつながらなくても、
ひとりでも多くの母親のためになりたいというものですので、
前述のファミリアの理念と重なるものがあります。
彼女たちのお店の今後に注目です!!
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