あさが来た|あさに激しく同情!ここまで酷かった明治時代の男尊女卑!
朝ドラ『あさが来た』では、あさが女性ということだけで見下す炭鉱労働者に
あさが激怒し「男は女から出てきたんや!」と啖呵を切りました。
これは確か、故夏目雅子さんが「鬼龍院花子の生涯」で言い放った
啖呵だったはず。
イメージが夏目雅子さんと似ていると言われている波瑠さんに、
このセリフを当てる制作陣の心憎い演出がよかったですね~♪
ですが、労働者たちの悪態には思わず顔をしかめてしまいますね。
痩せても枯れてもあさは蔵野炭鉱を経営する白岡家の代表者なのに、
ただひとつ女性であるという理由だけでこの有様です。
裏を返せば当時の男尊女卑の風潮がいかに酷かったということなのですが、
これがまた本当に酷いものでした。
明治時代の男尊女卑のひどさについてご紹介します。
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ここまで酷かった明治時代の男尊女卑
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まずはアジアではじめて制定された大日本帝国憲法から。
この憲法は1889年(明治22年)に公布され、翌年施行されました。
現在舞台となっているの1872年(明治5年)ごろですから、だいぶ時代は下りますが、
男女の定めについては当時の風潮を象徴した内容となっています。
いちおうこの憲法でも「臣民の平等」(19条)が定められ
誰でも公務や公職に就くことができるように定められています。
しかしそれには「法律命令の定むる所」という、
いわゆる法律の留保というのがありまして、
法律は女性が公職に就くことを認めていなかったので、
実質的には女性は公職には就けませんでした。
またご存知の通り、女性には選挙権、被選挙権が認められていません。
当時の女性は選挙で投票することすらできませんでした。
他にも政治活動の自由なども女性には認められていませんでした。
これに関連して、戸外で女性が三人以上集まる時には警察に届けなければならない
という規則すらありました!(当時は女性同士でお茶なんて、簡単にできなかったのですね)
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憲法以外でも、妻は結婚すると法律上は無能力者とする定めがありました。
つまり結婚後は妻の財産はすべて夫の管理下に置かれ、たとえ離婚した場合でも
財産分与などを請求できませんでした。
また重要な法律行為(売買や賃貸借など)をする場合には、すべて夫の許可が必要で、
まるで心神耗弱者と同様の扱いでした。
いや~これは酷いですね。このような規定があるために、
離婚したくてもできない女性は数多くいたでしょう…
ちなみにあさのモデルの広岡浅子も、銀行設立時に役職に就いていません。
これは当時法律的に無能力だった女性が取締役などに就任すると、
銀行の信頼性に関わるとの判断だったと言われています。
それ以外にも子供の親権は夫のみに認められていたり、夫婦の貞操義務についても
女性に不利な定めがありました。
また当時の国の高等教育機関であった
帝国大学も事実上女性を締めだしており、
女子が入学できたのは1913年(大正3年)のことです。
後にあさは女子大の設立に尽力しますが、このような事実が背景にあったのですね。
(女性解放運動家の平塚らいてう)
このように見ていくと、当時はいかに女性の地位が低かったことがわかりますね。
特に結婚後に女性が法律上無能力になってしまうというのは、
まさに当時の社会を象徴しているようでなりません。
多くの事柄に夫の許可が必要で、妻の権利も乏しいとなれば、
やはり女性だからと言って見下してしまう男性も少なくないはず。
蔵野炭鉱の労働者たちが「女性だから」ということで、
あさにあのような態度をとったことも何となく頷ける気もします
(決して賛同はしません!)
わずか100年余り前の日本でも、このようにあまりに理不尽な男尊女卑が
まかり通っていたのです。
その後世の女性たちの不満が大きくなって、平塚らいてうや市川房江、
山川菊栄らの女性解放運動につながっていったのでした。
これらを考えると、朝ドラ『あさが来た』で描かれたあさが藩邸に乗り込んで
借金の返済を迫ったり、蔵野炭鉱で陣頭指揮をとるなどということは、
当時としては信じられないくらい凄いことだったのですね♪
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