べっぴんさん|財産税が酷い!驚きの実態と坂東家のピンチ!
朝ドラ『べっぴんさん』では、すみれたち坂東家は近江の本家に
疎開していたことから、昭和20年(1945年)3月と6月の
神戸大空襲の戦禍は免れることになります。
しかし五十八が経営していた坂東営業部は既になく、神戸にあった豪邸も
大空襲で焼失しており、大きなダメージを受けることになります。
終戦を迎えてもインフレによる物資不足や配給の遅配などにも悩まされ、
食べ物を確保することすら困難になります。
戦前は大金持ちの令嬢として何不自由なく暮らしたすみれでしたが、
その生活も一変してしまうことになりそうです。
そんなすみれたち坂東家に追い打ちをかけたのが、
昭和21年(1946年)2月の預金封鎖と新円切り替えです。
他の記事にも書きましたが、これにより現金の手持ちが制限されてしまい、
資産家であるのにその財産を自由に使えないという理不尽な状況となります。
さらには同年3月に財産税が定められますが、これこそ資産家の財産を
狙い撃ちにした施策で、坂東家にも経済的に大きなダメージを
受けることになります。
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財産税が酷い!驚きの実態と坂東家のピンチ!
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ドラマでも財産税によって坂東家の資産が削られていくことが
描かれるでしょうが、この税は資産家にとって かなり酷い内容でした。
終戦を迎え経済的にひっ迫した政府は財政の立て直しのために、
資産家から富の再配分を図る意味も含めて臨時法として財産税を定めます。
その内容は、10万円以上の資産があれば25%の課税となり、
しかも累進課税ですから資産が多いほど税率も高くなっていきます。
そのため資産が100万円超で70%、300万円超で80%、1500万円超で
90%とべらぼうに高い税率が適用されることになりました。
ドラマではこの税によって、具体的に坂東家の資産がいくら目減りした
かについては描かれないようです。
しかし坂東家のモデルの坂野家は大きなダメージを受けていました。
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すみれのモデルの坂野惇子は佐々木営業部で財を成した佐々木家出身で、
その夫となる通夫(紀夫のモデル)の父の兼通も山口銀行の総理事や
他の10数社の取締役を務めるほどの資産家でした。
そのため当時の坂野家の資産は50~60万円程度有していたと言われており、
これをざっくりと現在の価値に換算すればおよそ10億円前後になります。
そして前記の財産税による課税は50万円超から100万円が65%ですから、
半分以上を持っていかれてしまう計算になります。
それでもまだ3億円超の資産があるじゃないか? と思われますが、
それも預金封鎖や新円切り替えなどの影響で自由に使えない状況です。
いくら富の再配分と言えども、この税率はかなり厳しいですね~
ちなみに「あさが来た」のモデルの広岡浅子の広岡家もこの税で大打撃を受け、
やがて歴史の表舞台から消えていくことになりました。
しかしこのような状況から、惇子は通夫の帰りを待ちつつも、
自らの手でお金を稼ぐ道を模索していきます。
当初は近所の子どもたちの服を繕う仕事を試みましたが、
成果は出ませんでした。
ところがそのうちベビーショップの開店というアイデアを得て起業し、
それは現在のファミリアへと脈々とつながっていくことになります。
とすれば当時の財産税のような施策がなければ、惇子は起業していなかった
かもしれませんし、ファミリアもなかったかもしれません。
坂野家から大幅に資産を削り取っていったこの税ですが、
悪いことばかりではなかったようですね!
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