べっぴんさん|潔のモデルの尾上清の破天荒すぎる生涯に絶句!
朝ドラ『べっぴんさん』では、ヒロインのすみれ(芳根京子)並みに
重要な役割を果たすのが高良健吾さん演じる野上潔です。
彼はすみれを起業の道に導くばかりではなく、戦時中に消滅してしまった
坂東営業部の再興も果たします。
またすみれたちが子供服店キアリスを開店した後も、大切な助言をしたり
その人脈で彼女たちを助けることになります。
その役割の大きさからすればW主役でもいいような潔ですが、
そのモデルとなったのが後にレナウンの社長を務める尾上清。
彼については断片的に色々と紹介してきましたが、ここでまとめてみます。
とにかくその破天荒な生涯に驚くとともに、義理と人情に厚い
非常に魅力的な人物です。
(尾上清と坂野惇子)
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潔のモデルの尾上清の破天荒すぎる生涯に絶句!
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尾上清は明治44年(1911年)に大阪で生まれ、すみれのモデルの
坂野惇子とは7歳年上です。
父は佐々木営業部の番頭だった尾上設蔵(野上正蔵のモデル)です。
ふたりは幼馴染で、彼は惇子のことを「小嬢ちゃん(こじょうちゃん)」
と呼んで可愛がりました。
清は地元の住吉中学を卒業すると上京し、慶應義塾高等部に進学します。
ところが同校に進学したものの、まじめに学業には取り組みませんでした。
サラリーマンの平均月収が60円の時代に、月100円もの仕送りを受けていましたが、
すべて女性との交際に使ってしまう始末。
しかし高校生でありながら横浜で喫茶店を経営するなど、
既にたぐいまれな商才を発揮しています。
いちおう慶応大学への進学を試みますが落第し、昭和8年(1933年)に
大阪に戻って佐々木営業部に入社します。
すると彼はその商才を遺憾なく発揮し入社から3カ月で主任に、
そして昭和11年(1936年)にはわずか3年で佐々木営業部の
常務取締役に就任します。
ちょうどこの頃は同社は取り扱っていたメリヤスが好調で、
日本最大のメリヤス会社になった頃です。
しかし清は昭和13年(1938年)に日中戦争の際に召集され、
中国の天津に派遣されます。
砲兵曹長だった彼ですが、司令官らとカジノに興じたり、車を乗り回したり、
軍服を着ないなど好き放題やっていました。
それでいて全隊員に特別の外泊許可が出た際には、荷物の見張りのために
率先して居残りを申し出たり、肺結核を患った部下には何と1万円もの
治療費を贈ったりと人望はかなり厚かったようです。
昭和15年(1940年)に復員し、その際に伊勢丹の創業者の小菅丹治の
長女の喜子と結婚します。
ところが今度は太平洋戦争に召集され熊本や沖縄に赴任して、
宮古島で日本の敗戦を知ることになります。
すぐに本土に戻った彼は、佐々木営業部を吸収合併していた江商(現兼松)に
入社しますが、ここでも出世は早く昭和22年(1947年)には江商衣料品の常務
となります。
しかしこの年に同社を辞めて、佐々木営業部を興します。
そして義理堅い彼は自分で会社を再興したにも関わらず、佐々木八十八の長男
隆一(ドラマには登場せず)に社長への就任を願い出ています。
結局断られて仕方なく社長に就任するのですが、そこからの行動がもの凄いです。
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清は佐々木営業部を復活させましたが資金がなかったことから、
銀行に相談に行き多額の融資を取りつけることに成功します。
担保はまったくなかったにも関わらず、住友銀行から2000万円、
三菱銀行から1000万円の融資を引き出したのです。
それもどちらもたった一度の支店長との面談だけで取り付けました。
当時の1万円は現代の貨幣価値でおよそ30~40万円とも言われていますから、
仮に30万円と換算しても、住友からは6億円、三菱からは3億円の融資を
取り付けたことになります。
しかも担保なしですし、両銀行の支店長も人を見る目はあったはずですから、
いかに清が魅力的な人物であったことの裏付けですよね?
融資を得ると彼は連日、東洋紡や日紡、鐘紡などの大手に営業をかけ、
仕事を取りつけてきました。
昭和30年(1955年)に社名をレナウン商事に改めますが、1960年代に入ると
「これからはテレビの時代だ」と積極的にメディアを利用する戦略をとります。
その結果「レナウン娘」などの名物CMも生れますが、昭和49年(1974年)には
同社は売上1000億円を超える大企業となります。
翌年に引退して理事長に就任しますが、清はおよそ30年にわたり
レナウンのトップに位置し、同社のかじ取りをおこなってきました。
残念ながら昭和63年2月9日に肺炎で死去しますが(享年76歳)、
この時点でレナウングループの総売り上げは4000億円に達していました。
晩年は「ファッション業界の首領(ドン)」と呼ばれた清ですが、
その人となりを調べると、「義理堅い」「人情に厚い」「豪快で破天荒」
「仕事には厳しいが人には優しい」などの言葉が浮かび上がってきます。
これらの言葉はまさに彼の人生そのものを凝縮していますし、
その経歴に鑑みてもかなりの大人物であることがわかります。
そして彼の人となりを如実に表したエピソードは、昭和21年(1946年)に
起こした隠匿物資横流し事件です。
当時は江商に勤務しながら有信実業という会社を個人的に作って、
何と5億円分もの隠匿物資を闇に流しています。
しかもそれで得た利益の大半は貧しい人々に分け与えたので、
警察に身柄を拘留こそされましたが、起訴などには至りませんでした。
こんなことができる人はなかなかいないでしょうし、
そのスケールにも圧倒されますよね♪
ドラマの野上潔もこんな人物がモデルになっています。
彼の劇中での活躍にも大いに期待しましょう!!
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