べっぴんさん|戦後のベビーブームが凄かった!キアリスの成功の一因

 

朝ドラ『べっぴんさん』では、舞台は昭和23年(1948年)に突入して

すみれたちのキアリスに大勢のお客さんが押し掛けることになります。

 

開店当初はベビー相談室がウケたものの、その後は客足も落ち着いてしまいました。

 

その後潔が企画したファッションショーに参加してお店の知名度が上がりましたが、

決定的だったのが戦後のベビーブームです。

 

当時の日本では未曾有のベビーブームが到来しており、毎日のように日本中で

たくさんの子どもたちが生まれていました。

 

そのためマスコミなどもキアリスを頻繁に取材することから、

さらなる客足も増えていくことになります。

 

実際にモデルとなった坂野惇子たちのファミリアも、このベビーブームに

乗ったお陰で開店直後から売り上げを大幅に伸ばし続けました。

 

ファミリアの成功の一因といっても過言ではありませんが、

それほどこのブームは凄かったのです!

 

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戦後のベビーブームが凄かった!キアリスの成功の一因

 

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現在は少子化に悩む日本ですが、平成27年(2015年)の新生児の出生数は

1008000人でした。

 

5年ぶりに増加に転じましたが、未だ人口減には歯止めがかかりません。

 

そして昭和23年から24年にかけての第1次ベビーブームでは、

ともに新生児の出生数は250万人を超えており、昭和24年に関しては

2696000と過去最高を達成。

 

つまり当時の日本では、毎日およそ7400人もの新生児が生まれたことになります。

 

現在の2.7倍もの数字で、この時期に生まれた人たちは「団塊の世代」と呼ばれ、

末永く日本の経済を支えてきました。

 

このようなベビーブームが訪れた要因はいくつか挙げることができますが、

やはり大きいのは大量の復員兵の帰国や戦後の食糧事情が改善されつつあったことです。

 

戦時中や終戦直後はそもそも男性自体が少なかったですし、昭和23年から

日本に対する各国の食糧支援がはじまりますから、出産・子育てをできる環境が

整ってきたので出生数が爆発的に増えたのです。

 

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さらには当時は中絶は刑法の堕胎罪にあたる犯罪で、経済的な理由で

中絶が認められるようになったのも昭和24年からでしたので、

このあたりもベビーブームの原因となっているはずです。

 

このように爆発的に子どもたちが増えているにも関わらず、

当時の赤ちゃん用品や子供服などは買うのではなく、

まだまだ自分たちで作る時代でした。

 

そんな中、坂野惇子らがはじめた子供服やベビー用品の専門店は

目新しいばかりではなく、品質もよかったのですぐに繁盛します。

 

彼女たちが靴屋の一角を間借りして、わずか3坪のスペースからはじめた

ベビーショップモトヤでしたが、ファミリアに改称した昭和25年には早くも

年間の売上も1,500万円を計上します。

 

当時の1万円の価値は現在の80万円くらいと言われていますので、

現在の貨幣価値に置き換えるとわずか2年で約12億円もの売上を計上する

お店に成長したということです。

 

しかも驚くべきは昭和31年(1956年)には、ファミリアの売上は1億円を突破

しています。

 

わずか6年間で売上が7倍になっているのは、良質な商品のお陰もありますが、

やはりこの未曾有のベビーブームなしには達成できない数字でしょう。

 

このように右肩上がりに売上を伸ばしていくファミリア同様、

ドラマのすみれたちのキアリスも今後は大きく成長していくことになります。

 

まずは大急百貨店への出店が大きなターニングポイントになるはずですから、

このあたりには注目したいものですね♪

 

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