べっぴんさん|大急出店の目玉商品は弁当箱!史実はどうだった?
朝ドラ『べっぴんさん』では、大急百貨店に出店が決まったキアリスですが、
社長の大島(伊武雅刀)から目玉商品を求められます。
富裕層が訪れる百貨店での目玉商品にすみれたちは頭を悩ませますが、
弁当箱のアイデアを考えつきます。
アルマイトの弁当箱を仕入れて蓋にリスとクローバーの絵をかいて、
お揃いの箸や袋を付けて売ろうとするものです。
大急百貨店の担当者の小山(夙川アトム)もこのアイデアに感心しますが、
すみれたちに相談することなく勝手に新聞広告を出してしまいます。
しかもその数はなんと300個!
ただでさえ商品づくりに右往左往しているすみれたちは、出店までに
アルマイトの弁当箱を大量に仕入れなくてはいけません。
しかも頼りの坂東営業部に相談に行きますが、ツテがないと言われてしまいます。
すみれたちは300個もの弁当箱をどのように仕入れるのでしょうか?
史実のエピソードとともにご紹介します。
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大急出店の目玉商品は弁当箱!史実はどうだった?
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すみれたちは弁当箱を手あたり次第買いあさることになりますが、
その数はたかが知れており、窮地に立たされてしまいます。
そんな彼女たちを救うことになるのが、何と君枝の義母の琴子
(いしのようこ)です。
実は彼女の父親が生前、工場と取引があったようで、そのツテを辿って
300個もの弁当箱を用意したのです。
これにはすみれや君枝、そして昭一たちも大喜びで、
キアリスもピンチを脱することになります。
孫の健太郎を溺愛している琴子ですが、こんな大きな役割を果たす
ことになるのですね♪
ところでモデルとなっている坂野惇子らが阪急百貨店に出店した際には、
特に目玉商品というのはなかったようで、ドラマの一連のエピソードは
オリジナルのストーリーです。
ただし弁当箱については、実際に商品化してヒットとなっています。
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惇子たちが弁当箱を売ったのは、ファミリアになる前の
ベビーショップモトヤ時代。
昭和24年(1949年)の3月に幼稚園の入園シーズンを前に、
弁当箱と箸と袋をセットにして売り出すことを思いつきます。
しかも当時の弁当箱は図柄のセンスが悪かったことから、
無地の弁当箱を仕入れて田村江津子(良子のモデル)が絵を描いて
お揃いの袋も作りました。
その上で、児童用のカバンなどとともに、惇子が幼稚園に
飛び込み営業をかけて売り込みました。
彼女たちのセンスは当初から好評でしたので反響も大きく、
弁当箱もよく売れたようです。
ファミリアでは現在でも子供用の弁当箱を販売していますが、
ルーツはここにあったのですね~
(ファミリアの弁当箱)
このエピソードを、ドラマでは大急百貨店に出店した際のストーリーに
組み込むようですね♪
ドラマオリジナルのストーリーとなりますが、すみれたちが力を合わせて
窮地を脱する様子も描かれるようで楽しみですね!
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