べっぴんさん|ファミリアは三越への出店を拒否していた!
朝ドラ『べっぴんさん』では、すみれたちのキアリスが
大急百貨店に出店します。
大急特選マークを拒否したり、販売方法を百貨店の買い上げ方式から
委託販売方式にしたりと道のりは険しかったのですが、
大急の社長の大島らの寛大さもあって無事に出店にこぎつけることになります。
このあたりのエピソードは坂野惇子らが立ち上げたファミリアが
阪急百貨店に出店した際の実話は下敷きになっていますが、
骨子はほぼ忠実に再現されています。
後にファミリアは阪急だけではなく、高島屋や伊勢丹、松坂屋といった
デパートにも直営店を開業して販売網を広げていくことになります。
そんなファミリアでしたが、実は百貨店大手の三越だけは出店を拒否
していたのです!
(日本橋三越本店)
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ファミリアは三越への出店を拒否していた!
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昭和26年(1951年)に阪急百貨店うめだ本店に出店したファミリアでしたが、
昭和38年(1963年)ごろから他の百貨店にも進出をはじめています。
昭和34年に美智子妃の出産の際に納品したこともあり、皇室御用達となった
ファミリアの当時の勢いはすさまじいものがありました。
また三和銀行と三菱銀行がファミリアの財政面を支え、当時は
「ファミリアコーナー」という10坪程度の小型店を阪急以外の
百貨店に積極的に出店していきました。
昭和38年4月の高島屋大阪店への出店を皮切りに、高島屋東京店、伊勢丹本店、
福岡玉屋、松坂屋名古屋店などにオープンしていきました。
その後も東急百貨店や近鉄百貨店、大丸などにも出店していきますが、
なぜか業界大手の三越だけはファミリアコーナーの出店すらありませんでした。
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その理由はファミリアが「三越マーク」をつけることを拒否したからです。
当時の三越は販売する衣料品に三越マークをつけていたのですが、
阪急の時と同じようにファミリアはこれを拒否しました。
また阪急とは異なり三越側も歩み寄らなかったので、ファミリアも
大手百貨店の中では三越だけ出店しないという状況が続きました。
しかし昭和44年(1969年)に、東京の三越本店で開催した「英国フェア」に
ファミリアが協力したことで両社の関係は改善されていきます。
このイベントにはエリザベス女王の妹のマーガレット王女も来訪するほど
三越側にとって重要なものでしたが、ファミリアは三越の要請によって
イギリスからの直輸入品を展示しました。
それ以降は、三越が折れる形でファミリアのネームやタグをつけたままで
出店することに同意します。
現在でも仙台や高松、松山の三越に出店しているファミリアですが、
出店に至るまでの経緯は意外にも困難を極めたのですね~
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